小笠原流(おがさわらりゅう)(OgasawaraRyu)

 小笠原流(おがさわらりゅう)は、武家社会の故実(武家故実)の礼儀作法の流派の一つ

 弓術・馬術・煎茶道料理・有職故実などにおいて用いられる

 鎌倉時代に創始され、
 室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における故実の指導的存在となり、武家全体に重んじられた

【小笠原流の歴史・経緯】


【小笠原流】

 <糾法(きゅうほう)>
 弓馬術礼法
 清和天皇の第六皇子 貞純親王(さだずみしんのう)により創始されたといわれる
 後醍醐天皇に仕えた小笠原家7代 小笠原貞宗が「弓馬の妙蘊に達し、かつ礼法を新定して、武家の定式とするなり」という
御手判を賜り、このとき「・馬・礼」の三法をもって「糾法」とされた


 <小笠原流礼法>
 3代将軍 足利義満に仕えた今川氏頼・伊勢憲忠・小笠原長秀によって編纂された「三議一統」として完成された武家の礼法が
それぞれの家系で、今川流・伊勢流・小笠原流として伝えられたうちの小笠原流
 小笠原教場が、登録商標「小笠原流礼法」を保持している

 <小笠原流弓馬術礼法>
 現在の平兵衛家系に伝承されている糾法(きゅうほう)(弓馬術礼法)
 甲斐源氏の小笠原長清が初代とされる
 個人戦の一騎討ちの室町時代に成立したもので、戦国時代の集団騎馬戦向きではないといわれる


 <三議一統>
 供奉・食事・宮仕の仕方・書状の様式・蹴鞠の仕方など、武士の一般教養をまとめたもの
 3代将軍 足利義満の命により、小笠原家10代 小笠原長秀・今川氏頼・伊勢憲忠により編纂され、礼法の師範となる

 歩射は、小笠原縫殿助家 旗本785石の小笠原持広に、騎射は小笠原平兵衛家 旗本500石の小笠原常春が任じられる
 師範となって旗本などに教授し、式を司り、古式による射礼や騎射が行われた

 <小笠原礼書七冊>
 18代小笠原貞慶により「三議一統」後に加えられた記述をし、武家礼法を「小笠原礼書七冊」としてまとめられた


 <小笠原氏隆流>
 兵法諸礼の流派
 宮内大輔(くないたいふ)小笠原氏隆を祖とする


 <小笠原流煎茶道>
 小笠原家総領家に伝わる小笠原流作法を基礎とした煎茶道の古流・礼法
 小笠原家初代 小笠原長清の父親 加賀美遠光から伝わる作法とされる
 公益財団法人小笠原流煎茶道が設立されている

本膳料理  <小笠原流
 本膳料理の食事作法を定めた「食物服用之巻」などの書物がある

【主な家・人物】

 <京都小笠原家>
 武家故実、弓術、馬術、諸礼法を伝える
 信濃小笠原家7代当主で小笠原流礼法の中興の祖とされる小笠原貞宗の弟 小笠原貞長が始祖
 6代将軍 足利義教により重用された
 室町幕府の奉公衆として、室町幕府初期より幕府の的始などに参加していた
 室町幕府の的始は重要な儀礼であり、その大役である弓太郎(一番目の射手)は京都小笠原氏から任じられていた
 足利義輝の側近であり、永禄の変において共に討たれる


 <小笠原長清>
 甲斐源氏の一流で、小笠原家の初代とされる
 鎌倉幕府初代将軍 源頼朝から重用され、
 弓馬師範とされ、弓始(ゆみはじめ)・奉射(ぶしゃ)・八的・丸物・笠懸・流鏑馬等の儀式を行うよう任じられる

 「弓馬四天王」
 海野幸氏・望月重隆・武田信光・小笠原長清の4人
 海野幸氏は、滋野家の嫡流とされ、鎌倉時代初期の御家人での名手、
 滋野家の望月重隆は、源頼朝から日の本一の上手という勇名を賜り、
 武田信光は流鏑馬の大会に於いて優秀な成績を修めていた


 <小笠原長経>
 小笠原家2代当主
 源実朝に糾法師範を命じられる

 <小笠原貞宗>
 小笠原家7代当主
 小笠原流礼法の中興の祖とされる
 後醍醐天皇から「小笠原は日本武士の定式たるべし」と評価され、家紋として「王」の字を賜わる
 「王」の字をそのまま用いることは 控え、それを象徴する三階菱を家紋とした

 <小笠原長秀>
 小笠原家10代当主
 3代将軍 足利義満の命により「三議一統」の編纂にあたり、
 礼法の師範となる

 <小笠原長時>
 小笠原家17代当主
 武田信玄により、信濃国が侵攻され、信濃小笠原家も討たれる

 <小笠原貞慶>
 小笠原家18代当主
 武田信玄に敗れ信濃国を追われ、京都小笠原氏の小笠原稙盛を介して足利義輝に太刀・馬を献上して小笠原再興に奔走した
 小笠原流礼法の整序に努め、「三議一統」に今川・伊勢両家に伝わる故実をくみ入れた武家礼法を
「小笠原礼書七冊」としてまとめる

 <小笠原忠統>
 小笠原家32代当主
 昭和時代に、「小笠原流礼法伝書」などを出版し、糾法・弓馬礼のうち、一般生活に関わる「礼」に特化して教授し、
礼法の普及に努めた


 <小笠原縫殿助家>
 京都小笠原家の衰退の後、庶流が関東に下向して後北条氏の家臣となった
 その後、小笠原康広が、徳川家に仕え、旗本785石となった
 代々 平兵衛家とともに流鏑馬(歩射)を司った
 明治時代に途絶える


 <小笠原平兵衛家(赤沢家)>
 小笠原家18代 小笠原貞慶が、武田信玄に討たれたとき、弓馬礼法の伝統を絶やさないため、
小笠原一族だった赤沢経直(平兵衛家)に、弓馬術礼法の三法を総取仕切る宗家の道統(正統継承)を託した
 赤沢経直(小笠原貞経)は、徳川家康に仕えて「小笠原」姓に復される
 旗本500石となり、徳川将軍家子女の婚礼や元服の儀式に仕えた
 また、代々 縫殿助家とともに流鏑馬(騎射)を司った
 8代将軍 徳川吉宗の命により流鏑馬(騎射挟物)が復興され、第20代 小笠原常春に預けられ、代々、騎射師範となる
 「流儀を教えることで生計を立ててはならない」という家訓により、特定非営利活動法人 小笠原流・小笠原教場が設立されている
 理事長 小笠原清基(弓馬術礼法教場31世宗家 小笠原清忠の嫡男)
 「小笠原流礼法」の登録商標(商標登録番号 第3076080号)を保持している

【小笠原流ゆかりの地】

 <上賀茂神社
 武射神事(むしゃしんじ)1月16日

 「鬼」と裏に書かれた的を射て年中の邪気を祓う
 小笠原流近畿菱友会による大的式や百手式の奉納がある


 <下鴨神社
 流鏑馬神事 5月3日
 葵祭の道中を祓い清める神事とされる
 馬を走らせながら公家の狩装束姿の騎手が、「陰陽(いんにょう)」と声をかけ、3ヶ所の的を鏑矢で射ぬく神事
 全国で行われている流鏑馬のなかでも、唯一、平安時代の狩装束姿での騎射が行われる

 歩射神事 5月5日
 葵祭の沿道を地上から弓矢を使って清める魔よけの神事
 蟇目式(ひきめしき)・屋越式(やごししき)・大的式(おおまとしき)・百々手式(ももてしき)などが行われる


 <梨木神社
 元服式 1月最終日曜(あるいは2月第一日曜)
 鎌倉時代から伝わる弓馬術礼法 小笠原流の元服式
 新成人が、「因みの親(ちなみのおや)」と称される後見人が見守るなか、直垂(ひたたれ)など武士の盛装を着付け、
烏帽子(えぼし)を頭にのせる「加冠の儀」などが行われる

 萩まつり 9月第3土日曜
 拝殿で、狂言(茂山社中)・上方舞・小笠原流弓術・尺八(都山流)・倭神楽・箏曲などが奉納される


【京都検定 第11回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク




表紙京都の歴史京都の地理京都の神社京都の寺院京都の伝統文化芸術京都の生活文化京都の観光日本/世界の京都