六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)(RokusonnouJinjya)

所在地:京都市南区壬生通八条角   鳥居地図情報鳥居

祭神:六孫王大神(源経基)
相殿:天照皇大御神、八幡大神(源氏の守護神)

社格:正一位

旧称:六ノ宮権現

京都十六社朱印めぐりの一つ

源氏三神社の一つ(六孫王神社、多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市))

ご利益:守護神、出世開運、家運隆昌

 六孫王神社は、京都駅の西にある神社

 清和源氏(せいわげんじ)の武士団を結成した源満仲が、父の源経基(みなもとのつねもと)(六孫王)を祀るために創建された

 現在の地は、源経基の邸宅「八条亭」の跡地で、源経基は清和源氏の祖と仰がれ、「清和源氏発祥の宮」と称される

 六孫王が、牡丹(ボタン)を非常に好み、邸宅に植えていた牡丹の花園が嵯峨野まで続いていたといわれる
 そのため、六孫王神社の神紋を、牡丹とされたといわれる

 4月には、境内に桜が咲き乱れる名所

 源氏ゆかりの神社として武家の信仰が厚く、境内石灯籠に諸大名の寄進者名が残っている

 今昔物語の「六の宮」、芥川龍之介の「六の宮の姫君」などで、六孫王神社が登場している


【六孫王神社の歴史・経緯】




【六孫王神社の境内】

 六孫王神社の鳥居をくぐると、左右に朱色の灯籠が並び、石畳が敷き詰められている

 <社殿>
 1700年(皇紀2360)元禄13年
 江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉により、徳川家が、清和源氏の末裔とされ、現在の本殿・拝殿を再建された

 <神廟>
 本殿の後方にある石積みの神廟
 963年(皇紀1623)応和3年
 六孫王の長男 源満仲が、六孫王の遺骸を埋葬した霊廟
 神社に墓石があるのは非常に珍しいといわれる

 <神龍池>
 境内中央の瓢箪(ひょうたん)形の池
 六孫王の「八条亭」の池だったいわれる
 石橋がかけられている

 <鯉魚塚>

 <誕生水弁財天社>
 神龍池のそばにある建物
 六孫王の長男 源満仲が誕生するときに、琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、安産を祈願して産湯に使うための
井戸の上に建てられたもの
 弁財天像は、弘法大師 空海の作といわれている
 毎年6月13日にご開帳される

 <義仲誕生水>
 弁天堂内にあり、古くから京都の名水の一つとされている

 <御衣黄桜(ぎょいこうさくら)>
 神龍池の石橋を渡った参道の北側にある桜
 八重桜で、花びらが、うすい黄緑色の珍しい桜で、天皇即位の衣装の色と同じであるところから「御衣黄桜」と
名付けられたといわれる
 1966年(皇紀2626)昭和41年
 境内整備記念大祭で植樹されたもの
 普通の桜が散り終えた頃に開花する
 雨宝院仁和寺平野神社などにも植えられている

 <睦弥稲荷神社>
 <神馬舎>
 <手水舎>

 <南区戦没者慰霊之碑>

【六孫王神社の祭事】

 <元旦祭> 1月1日
 <成人式・とんど祭> 1月第2日曜日
 <節分祭> 2月節分
 <崇神会さくら祭・源氏祭> 4月第2日曜
 <弁財天御開帳祭> 6月13日
 <夏越祓祭> 6月30日

 <例祭「宝永祭」>
 10月体育の日
 神幸祭では、4匹の鬼が先頭に立ち、神官の格好をした子供たちが金銀の御幣・鉾・盾を持ち、
沿道の邪気をなだめ、お祓いをしながら神輿巡行が行われる
 まず、大通寺に祭列が向かい、そこで、大通寺住職により読経が行われる
 宝永年間(1704年〜1711年)
 江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉により、社殿の再建が完成したことにより、そのときに盛大に祭が行われたといわれる

 <御火焚祭> 11月第3日曜
 <除夜祭> 12月31日



【六孫王神社へのアクセス】

 市バス 「六孫王神社前」 徒歩約3分
 京都駅八条口より 徒歩約15分
 JR西大路駅 徒歩約15分

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