大悲閣千光寺(だいひかくせんこうじ)は、保津川・大堰川、高瀬川を開削した豪商 角倉了以が、
河川開削工事に携わった人たちの菩提を弔うために創建した寺院
平家物語にも記される「千鳥ヶ淵」と称される嵐山中腹にあり、眼下には保津川が流れる
松尾芭蕉など、各時代の文人の遊行地であった
現在は、京都市市街地・京都タワー・大文字山・比叡山などが見渡せる
<本堂>
<松尾芭蕉の句碑>
参道入口にたつ
「花の山 二町のぼれば 大悲閣」
<角倉了以顕彰碑>
角倉了以の子 角倉素庵の建立
林羅山(はやしらざん)による撰文
<夢窓疎石国師の座禅石>
夢窓疎石が座禅を組んだといわれる
<千手観世音菩薩像>
本尊
角倉了以の念持仏だったもの
恵心僧都 源信の作といわれる
<木造 角倉了以座像>
東側の客殿(月見台)に祀られている
法衣姿の等身の座像
保津川・大堰川の安全をいつも願うように見守られているといわれる
<角倉了以>
保津川・大堰川、高瀬川、富士川、天竜川などの開削事業を行った豪商
対岸の亀山公園には角倉了以像がある
二尊院境内の小高い丘にお墓がある
<千鳥ヶ淵>
平家物語にも記されている文人の遊行地
平重盛の家臣 斎藤時頼(滝口入道)との恋に破れ、千鳥ヶ淵に身を投げた横笛の故事が残る