直指庵(じきしあん)は、大覚寺の北、嵯峨野の北辺に位置し、孟宗竹に包まれてひっそりとたつ寺院
秋には、紅葉の名所
かつては、悩める女性たちの駆け込み寺ともいわれていた
参拝に訪れた老若男女、特に女性たちの想いが綴られているノート「想い出草」がある
<山門>
<本堂>
茅葺き
本尊 阿弥陀如来像が安置されている
訪れた老若男女、特に女性の悩みが綴られている「想い出草」というノートが5000冊ほどある
書き込むための小部屋もある
<開山堂(独照墓堂)>
境内の高台にある開山 独照性円禅師(どくしょうしょうえんぜんじ)のお墓があるお堂
宝形造
中央に、独照性円禅師のお墓を示す大円塔がある
左に第二世 月潭の木像が安置されている
<亀石>
開山堂の前にある
独照性円禅師自らが「出でて吾が塔を護る」と序した
<二河白道の庭>
井戸と釣瓶(つるべ)などもある
本堂の横の小さな池には、天然記念物のモリアオガエルが生息している
初夏から夏にかけて、池周辺の樹木に卵を産み、「延命小袋」と称され、一見すると寿命が延びるといわれている
日本石楠花が咲く庭
<修練道場>
<孟宗竹の竹林>
<水子地蔵尊堂>
<想い出草観音菩薩像>
庭に立っている
<愛逢い地蔵>
恋愛成就・縁結びのご利益があるといわれる
<村岡局のお墓>
竹林の中に村岡局のお墓が立っている
自筆で「津崎氏村岡矩子之墓」と刻まれている
石の柵で囲まれている
村岡局は、大覚寺宮の家来 津崎左京の娘 津崎矩子(つざきのりこ)
近衛家の侍女として江戸城に行き、水戸藩の鵜飼吉左衛門らと親交をもち、尊王攘夷派の志士達と近衛家や
公卿との連絡役を担い、「勤王の女傑」と称される
父親は大覚寺門跡家臣 津崎左京、兄は大覚寺門跡諸大夫 津崎元矩
1858年(皇紀2518)安政5年
安政の大獄で、村岡局も捕らえられて江戸に送られる
その後、許されて直指庵に隠居し、付近の子女の教育に尽くした
1873年(皇紀2533)明治6年8月23日に直指庵で死去
1891年(皇紀2551)明治24年には、明治天皇から従四位を贈られる
<与謝野晶子の歌碑>
開山堂への道の途中に立っている
「夕ぐれを 花にかくるる子狐の にこ毛にひびく 北嵯峨の鐘」
<村岡局の石碑>
大覚寺の大沢池の畔に建立されている
<村岡局の銅像>
京都府立嵐山公園(亀山公園)に立てられている