京都府立嵐山公園(きょうとふりつあらしやまこうえん)は、嵐山の渡月橋を挟んで桂川上下流に広がる府立公園
上流左岸の亀山地区と、中州にある中之島地区、下流左岸の臨川寺地区の三地区からなる
平安時代からの絶好の景勝地
桜1500本が植えられ、春には公園の桜と山桜による桜の名所、秋には山々の紅葉の名所
嵐山公園は、保津川渓谷が平野に達したあたりに位置し、亀山・中之島・臨川寺の三地区からなっている
<亀山地区(亀山公園)>
小倉山の南東部を占める丘陵地
アカマツを主木に、桜、楓(カエデ)、ヤマツツジなどが群生している
西側は、保津峡や嵯峨野トロッコ列車を見渡せる眺望地
東側は、後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の三天皇火葬塚
東隣には天龍寺、北隣には大河内山荘があり、
嵯峨野めぐりのルートの一つ
<中之島地区>
桂川の中洲をなしている島
松や桜が多い
<臨川寺地区>
渡月橋下流左岸にあたる
老齢のアカマツを主体に、桜や楓(カエデ)などの木々が植わって、落ち着いた風情ある景観となっている
<渡月橋>
桂川にかかる全長155mの橋
承和年間(834年〜848年)に、弘法大師の弟子で、法輪寺を創建した道昌によってかけられた
現在のものは、1934年(皇紀2594)昭和9年に改築されている
<源氏物語>
「源氏物語」に登場する明石の君が、亀山公園付近の大堰川の山荘に住んだ設定になっている
明石の君は、山荘で光源氏と再会を果たす
<角倉了以像>
大堰川に面した公園の南の入口付近に立つ
角倉了以は、保津川を開削した江戸時代の豪商
1912年(皇紀2572)大正元年に初代の像が建立され、戦時中の資材供出で撤去された
1988年(皇紀2648)昭和63年、現在の2代目の像が、地元の有志により建立される
三条京阪の高山彦九郎像、円山公園の坂本龍馬像と並んで「京都三大銅像」の一つとされている
<津崎村岡局の銅像>
村岡局は、北嵯峨の大覚寺宮の家来 津崎左京の家に生まれ、公卿 近衛忠熈に侍女として仕えた
幕末維新では、尊攘派の志士、>近衛家、公卿との連絡役などで活躍した
1928年(皇紀2588)昭和3年の建立
<「雨中嵐山」詩碑>
大堰川に面した公園の南の入口付近に立つ
中華人民共和国の国務院総理を務めた周恩来が、京都留学中に嵐山で作ったと言われる「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑
1979年(皇紀2639)昭和54年
周恩来総理記念詩碑建立委員会によって建立される
「雨中嵐山」
1919年(皇紀2579)大正8年4月5日、帰国を前にした周恩来が、嵐山を訪れたときに作られた
当時としては斬新な新体詩(口語詩)で書かれている
「雨中二次遊嵐山、 (雨の中を二度嵐山に遊ぶ)
両岸蒼松、挟着幾株櫻。 (両岸の青き松に、いく株かの桜まじる)
到尽処突見一山高、 (道の尽きるやひときわ高き山見ゆ)
流出泉水緑如許、繞石照人。 (流れ出る泉は緑に映え、石をめぐりて人を照らす)
瀟瀟雨、霧濛濃 (雨濛々として霧深く)
一線陽光穿雲出、愈見嬌妍。 (陽の光雲間より射して、いよいよなまめかし)
人間的万象真理、愈求愈模糊 (世のもろもろの真理は、求めるほどに模糊とするも)
模糊中偶然見着一点光明、 (—模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば)
真愈覚嬌妍。 (まことにいよいよなまめかし)」
<嵐山東公園>
嵐山公園中ノ島地区から、下流にある松尾橋にかけて、河川敷一帯に広がっている総合公園
面積:11.4ha
運動広場、散策広場、児童広場がある