興聖寺(こうしょうじ)は、日本曹洞宗の最初の寺院で修行道場
江戸時代初期に、淀城城主 永井尚政(ながいなおまさ)が菩提寺として復興する
秋は紅葉・4月中旬は山吹の名所で、宇治十二景の一つ
<本堂>
朝日山を背景に建つ
伏見城の遺構といわれる
血天井
関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の攻防戦において、
守護を任せられていた伏見城が豊臣軍の大軍に包囲されても、最後まで自刃せずに戦い討死した徳川軍の鳥居元忠ら約800人を
供養するために、討死した血痕が残る大広間の床板を天井にして祀られている
同じ血天井が、養源院・宝泉院・正伝寺・源光庵にも残る
<天竺堂>
本堂の奥に建つ
手習観音菩薩が安置されている
<楼門>
中国風の白い楼門
<琴坂>
総門から続く参道
脇を流れる谷川のせせらぎが、琴の音に似ていることから「琴坂」と称される
道の両沿いは、桜・山吹・カエデが群生しており、紅葉の名所
「春岸の山吹(しゅんがんのやまぶき)」は宇治十二景の一つ
<鐘楼>
釣鐘には、林道春自選自書の銘がある
「興聖の晩鐘」として宇治十二景の一つ
<大書院>
<方丈>
<禅堂>
<宇治七茗園「朝日園」>
宇治七茗園の一つの朝日園があった地に興聖寺が復興されたといわれる
宇治七茗園は、足利義満に命じられた大内義弘が、宇治に茶園を作り、優れた7つの茗園が定められた
江戸時代の再興当時の興聖寺の境内には7つの茶室があった
2021年(皇紀2681)令和3年頃より
朝日園の再現を目指されている
1756年(皇紀2416)宝暦6年の宇治川の大氾濫で倒伏して埋もれていた浮島十三重石塔の九重目の笠石と相輪が発見され、興聖寺の庭園に移された
<手習観音>
天竺堂に安置されている聖観音菩薩像
「源氏物語」宇治十帖の手習之古蹟である「手習の杜」に祀られていたといわれる