養源院(ようげんいん)は、豊臣秀吉の側室 淀君の父親 浅井長政(養源院)の菩提寺
三十三間堂の東向かいに建つ
2016年(皇紀2676)平成28年2月9日
4棟(護摩堂・鐘楼堂・客殿・中門)が重要文化財に指定されている
<客殿(きゃくでん)(重要文化財)>
伽藍の中心となっている方丈建築の本堂
桁行22.8m、梁間18.9m、一重、入母屋造、本瓦葺
1621年(皇紀2281)元和7年
徳川秀忠が、伏見城の遺構を移築したもの
西面に入母屋造、軒唐破風付の奥玄関がある
北面に奏者所、北東隅に内仏壇がある
俵屋宗達の襖12面、杉戸8面で飾られている
2016年(皇紀2676)平成28年2月9日 重要文化財に指定される
血天井
本堂の左右と正面の3方の廊下の天井
関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の攻防戦において、
守護を任せられていた徳川軍の鳥居元忠ら約800人が、豊臣軍の大軍に包囲されても、
最後まで自刃せずに戦いぬき討死する
その血痕が残る大広間の床板を天井にして祀り供養されている
同じ血天井が、宝泉院・正伝寺・源光庵・興聖寺にも残る
鶯張廊下
江戸時代初期の大工・彫刻師 左甚五郎が造ったものといわれる
<護摩堂( ごまどう)(重要文化財)>
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
1615年(皇紀2275)元和元年から1661年(皇紀2321)寛文元年の建築
2016年(皇紀2676)平成28年2月9日 重要文化財に指定される
<鐘楼堂(重要文化財)>
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
1650年(皇紀2310)慶安3年頃の建立
2016年(皇紀2676)平成28年2月9日 重要文化財に指定される
<中門(重要文化財)>
一間薬医門、切妻造、本瓦葺
北側に潜戸・土塀、南側に袖塀・土塀が付いている
1615年(皇紀2275)元和元年から1661年(皇紀2321)寛文元年の建築
2016年(皇紀2676)平成28年2月9日 重要文化財に指定される
<庭園>
小堀遠州の作
豊臣秀吉を祀る(豊国廟)がある阿弥陀ケ峯を遠景とされている
<白衣辨財天>
<大聖歓喜天>
<白鷹龍神>
白鷹龍神・白玉明神・赤桃明神が合祀されている
<ヤマモモ(京都市指定保存樹)>
双幹の半球形の雄大な樹形のやまもも
豊臣秀吉が、伏見桃山城内に手植えしたものを、後年、この地に植え替えられたもの
<著色絵杉戸 4枚(重要文化財)>
本堂の絵が描かれた杉戸
鳥居元忠らの霊を慰めるために、俵屋宗達が描いたといわれる
表獅子裏波ニ麒麟図 2枚:表が「唐獅子図」、裏が「波に麒麟図」
表獅子裏白象図 2枚:表が「唐獅子図」、裏が「白象図」
1919年(皇紀2579)大正8年4月12日 重要文化財に指定される
<著色絵杉戸 白象図 1枚>
一面に頭を下げた白い巨象、もう一面に横を向く白い巨象が描かれている
<金地著色 松図(まつず)12面(重要文化財)>
本堂「松の間」の襖絵
襖8面、戸襖4面
松と岩だけが描かれた豪壮なもの
江戸時代の俵屋宗達の筆といわれる
1919年(皇紀2579)大正8年4月12日 重要文化財に指定される
<紙本金地著色 唐獅子図(京都府指定文化財)>
仏壇羽目板壁貼付3面
狩野山楽の筆
<大般若経会>
1月、5月、9月の21日
「一切は空である」との思想を説く諸経典を集成した「大般若経」全600巻を、御宝前で導師と出仕の僧4人で転読される
商売繁盛のご利益があるといわれる