地図情報
聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)は、門跡寺院として高い格式を誇る
江戸時代後期には光格天皇と孝明天皇の仮皇居にもなり、
「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている
江戸時代より、
修験道は、江戸幕府の政策により、「本山派」「当山派」の2つに分かれ、
聖護院は、本山派の中心寺院とし全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となる
現在は、本山修験宗の総本山の寺院
明治時代まで、西側に聖護院村があり、鴨川にかけて「聖護院の森」が広がり、
その森の中にある御殿であることから「森御殿」とも称される
<書院(しょいん)1棟(重要文化財)>
江戸時代初期
1676年(皇紀2336)延宝4年
御所の女院の御殿を賜って移築したもの
数寄屋風書院造
梅の間に続く奥の間は、天皇が自ら凝らした意匠といわれる
一重、庇付、入母屋造、一部葺きおろし、桟瓦葺、庇こけら葺
主室(床・棚・附書院がある)、次の間(床・棚がある)、背面室(八畳・六畳・四畳)
玄関、玄関次の間(床がある)、二面土庇や縁がある
異なる素材で造られた欄間、透し彫りの違棚、天袋の絵がある
花頭窓には、明治ガラスが用いられている
1957年(皇紀2617)昭和32年6月18日 重要文化財に指定される
<書院東庭>
東山を借景としている
<御学問所>
北御殿にある
聖護院を仮皇居と定めた光格天皇が私室として用いられた
御所の焼失後に急遽、様々な技法を用い急いで建てられたため、
「一夜造御学問所」と称される
<本堂>
耐火式空殿と内内陣に、本尊 不動明王(重要文化財)と脇侍が祀られている
南北両面に収蔵庫機能がある
主な法要は宸殿で行われ、本堂は加行道場として用いられている
延宝年間(1673年~1681年)の創建
1968年(皇紀2628)昭和43年
当初とほぼ同じ外観で再建される
<宸殿>
法親王が居住する門跡寺院の正殿
主な法要が、本堂ではなく宸殿で行われている
書院造の影響を強く受けつつ、寝殿造の形式を残し、宮殿風に造られている
玉座の間、大玄関、孔雀の間、太公望の間、波の間など15部屋以上ある
狩野永納、狩野益信ら狩野派による襖絵が150面以上ある
1676年(皇紀2336)延宝4年の創建
1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火で御所が焼失したとき、光格天皇の御座所として約3年間用いられた
2000年(皇紀2660)平成12年 修理が行われた
<宸殿庭園>
宸殿の前の、市松模様が描かれた白砂の庭
配置された石は、全て実用の意味がある
毎年2月の節分会、6月の高祖会では、それらの石も活用され、庭の中央で採燈大護摩供が行われる
<北御殿>
江戸時代中期の建立
1788年(皇紀2448)天明8年
光格天皇の行在所として2年間、用いられた
1854年(皇紀2514)安政元年
御所火災のとき、孝明天皇、裕宮親王(明治天皇)が避難され、仮皇居になる
<小書院(中御殿)>
江戸時代末期の建立
<山門(表門)>
門跡寺院を示す菊の紋をかかげている
1676年(皇紀2336)延宝4年頃
現在の地に再建されたときに新造された
2000年(皇紀2660)平成12年
大修理が行われた
<長屋門>
門と居住が一体化している
土間、納戸として用いられた
<玄門>
1676年(皇紀2336)延宝4年頃の建立
<大玄関>
山門の正面にある
宸殿の入り口
狩野永納、狩野益信らによって描かれた障壁画「老松」がある
<亀山城主献納茶室>
禁裏警護をしていた亀山藩(現在の亀岡市)亀山城城主 紀伊守 平信道が、
天明の大火から避難された光格天皇や皇族関係者の警護に引き続きあたられ、献上された茶室
仏像・彫刻
<木造 智証大師坐像(ちしょうだいしざぞう)1躯(重要文化財)>
開基 増誉大僧正の出身である園城寺の開基 円珍智證大師が祀られている
1143年(皇紀1803)康治2年8月
円城寺の覚忠が、仏師 良成に命じて作らせたもの
像内に、造像願文 円珍入唐求法目録等が納められている
1922年(皇紀2582)大正11年4月13日 重要文化財に指定される
<木造 不動明王坐像(ふどうみょうおうざぞう)1躯(重要文化財)>
本尊の不動明王
平安時代の創建当時のもの
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<木造 不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
平安時代の不動明王立像
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<役行者神変大菩薩>
高祖殿に祀られている
1695年(皇紀2355)元禄8年の作
銅造役行者の代表的な作り
障壁画・襖絵・絵画
<絹本著色 熊野曼荼羅国(くまのまんだらず)1幅(重要文化財)>
鎌倉時代の曼荼羅
1961年(皇紀2621)昭和36年2月17日 重要文化財に指定される
古文書
<光格天皇宸翰神変大菩薩号勅書(しんかんじんぺんだいごさつごうちょくしょ)1幅(重要文化財)>
1799年(皇紀2459)寛政11年1月25日
光格天皇が、役行者の滅後1100年の後遠忌のときに、
烏丸大納言を勅旨として聖護院に派遣され「神変大菩薩」の名を追賜されたときの勅書
全文が光格天皇の真筆
1904年(皇紀2564)明治37年8月29日 重要文化財に指定される
<紙本墨書 円珍入唐求法目録(えんちんにっとうぐようもくろく)1巻(重要文化財)>
智証大師坐像(重要文化財)の像内の納入品の1つ
859年(皇紀1519)天安3年4月18日
第5代天台座主 智證大師 円珍の奥書がある
軸身に仏舎利が納められている
錦袋に入った班竹筒がある
1922年(皇紀2582)大正11年4月3日 重要文化財に指定される
<紙本墨書 如意輪心中心真言観(にょいりんしんちゅうしんしんごんかん)1通(重要文化財)>
智証大師坐像(重要文化財)の像内の納入品の1つ
平安時代
第5代天台座主 智證大師 円珍の筆といわれる
1922年(皇紀2582)大正11年4月3日 重要文化財に指定される
<紙本墨書 智証大師像造立願文(ちしょうだいじぞうりゅうがんもん)1通(重要文化財)>
智証大師坐像(重要文化財)の像内の納入品の1つ
平安時代の古文書
1922年(皇紀2582)大正11年4月3日 重要文化財に指定される
<紙本墨書 後陽成院宸翰御消息(ごようぜいいんしんかんごしょうそく)1幅(重要文化財)>
桃山時代
後陽成上皇の自筆
「初冬廿日」と記されている
1904年(皇紀2564)明治37年8月29日 重要文化財に指定される
<著色 山城国冨家殿山絵図(やましろのくにふけどのやまえず)1幅(重要文化財)>
鎌倉時代後期の古文書
冨家殿は、1253年(皇紀1913)建長5年10月21日の近衛家所領目録に
「京極殿領内/山城國冨家殿」と記されている私的な相伝所領だった
東から南に流れる宇治川の北方に広がる冨家殿の所領が著色つきで描かれている
紙背には「冨家殿山指図」と外題があり、「万里小路大納言」「民部卿」ら6名の公卿の署名がある
冨家殿の規模などは不明だったが、本図の発見によって初めて実態が明らかになったといわれる
1995年(皇紀2655)平成7年6月15日 重要文化財に指定される
京菓子の聖護院八ツ橋
京の伝統野菜の聖護院だいこん、聖護院かぶ、聖護院きゅうりの発祥の地
<法螺貝餅>
幕末維新
御所が火災に遭ったとき、孝明天皇が避難先の聖護院門跡で食べたといわれる
<聖護院の森>
明治時代まで、西側に聖護院村があり、鴨川にかけてうっそうとした森が広がっていた
紅葉が、錦の織物のように美しいため「錦林」とも称される
<熊野神社>
修験道の開祖 役小角の十代 山伏日円が、国家護持のため勧請したもの
聖護院の森の鎮守として祀られている
毎年4月29日の祭事には、子供の山国白狐隊による奏上が聖護院宸殿前で行なわれる
<聖護院旧仮皇居>
1788年(皇紀2448)天明8年正月・1854年(皇紀2514)安政元年4月
御所が炎上し、光格天皇や孝明天皇、皇子 祐宮(明治天皇)が、一時期、仮御所として使用される
仮皇居聖護院を示す石標が立つ
<浄瑠璃「お俊・伝兵衛」>
1734年(皇紀2394)享保19年11月16日
聖護院の森で、呉服商の井筒屋伝兵衛23歳と、先斗町近江屋の遊女 お俊20才が心中する
この事件を、浄瑠璃作家 近松半二が、「近頃河原達引(お俊・伝兵衛)」という作品にまとめる
<本山修験宗のお経>
「宇宙一切の事象や音声は皆法身の顕れである」と考え、ありとあらゆる全てお経とされる
主に、法華経(妙法蓮華教)・不動経(稽首聖無動大威怒王秘密陀羅尼経)・般若経・
錫杖経(得道梯橙錫杖経)が読まれ、
天台宗の影響で、法華懺法・例時作法(阿弥陀経)も日課とされる
京都通メンバページ