吉田兼好(よしだけんこう)(Yoshida Kenkou)

吉田兼好(よしだけんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家

本名:卜部兼好(うらべかねよし)
法名:兼好(けんこう)

生年:1282年(皇紀1942)弘安5年頃
没年:1352年(皇紀2012)正平7年/文和元年以後

父親:治部少輔 卜部兼顕

通称:兼好法師(けんこうほうし)

 吉田兼好(よしだけんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家

 日本三大随筆の一つとされる「徒然草」の作者

【吉田兼好の歴史・経緯】


【随筆「徒然草」】

 鎌倉時代後期
 1330年(皇紀1990)元徳2年8月から1331年(皇紀1991)元弘元年9月頃
 随筆「徒然草」は、散文で思索や見聞した出来事などが記されている

 序段
 「つれづれなるままに 日ぐらし硯に向かいて 心に移り行くよしなし事を そこはかとなく書きつくれば 
 あやしうこそものぐるほしけれ」

 室町時代中期以降、高く評価され、文体や内容が文学的に評価されているだけでなく、
当時の社会風潮などを知る貴重な史料とされる

 <賀茂の競べ馬
 5月5日、上賀茂神社賀茂競馬会神事を観にいったが、牛車の前に群衆が立ち隔っていて見えないほどだった
 向いの楝(あふち)の木には法師が登って、木の股に居ついて物見ているような状況だったと記されている

 <出雲大神宮
 「徒然草」の第236段で、「丹波に出雲と云ふ処あり」と、出雲大神宮のことが記されている

 <大報恩寺 千本釈迦堂
 千本釈迦念仏・遺教経会の記録が残っている

 <律川呂川
 「唐土は呂の国なり。律の音なし。和国は単律の国にて、呂の音なし。」と記されている

【その他】

 <「吉田兼好」>
 「吉田兼好」とは、江戸時代以降に通称されるようになった
 卜部氏の嫡流は、吉田家、平野家などに分かれ、卜部兼好は吉田家の系統であった
 出家したことから「兼好法師(けんこうほうし)」とも称される

 <歌碑
 長泉寺に、吉田兼好の木像とお墓と歌碑がある
 「契りおく 花とならびの丘のへに 哀れ幾世の春をすぐさむ」


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