相阿弥(そうあみ)(Souami)

室町時代後期の同朋衆、絵師、鑑定家、連歌師

生年:生年不詳
没年:1525年(皇紀2185)大永5年10月27日
享年:不詳(70前後とされる)

父親:芸阿弥
祖父:能阿弥

姓:中尾
名:真相(しんそう)
号:松雪斎、鑑岳

足利将軍家の同朋衆、唐物奉行

別称:国工相阿

三阿弥の一人(祖父 能阿弥・父親 芸阿弥)

出身:京都

 相阿弥(そうあみ)は、室町時代後期の同朋衆、絵師、鑑定家、連歌師

 祖父 能阿弥、父親 芸阿弥を引き継いで、足利将軍家に同朋衆として仕え、唐物の鑑定や書画の管理・鑑定、
書院飾・座敷飾の指導、阿弥派の絵画の大成、庭園茶道歌道香道華道など諸芸で活躍した

 祖父 能阿弥、父親 芸阿弥、相阿弥の3代を「三阿弥」と称される
 絵画では「阿弥派」と称される

 特に、8代将軍 足利義政に仕え、東山文化の形成に重要な役割を果たしたといわれる

【相阿弥の歴史・経緯】

【相阿弥】

 足利義政など足利将軍家の同朋衆であり唐物奉行

 祖父 能阿弥、父親 芸阿弥を引き継いで、足利将軍家に同朋衆として仕え、唐物の鑑定や書画の管理・鑑定、
書院飾・座敷飾の指導、阿弥派の絵画の大成、造園、香道、連歌、茶道、花道など諸芸で活躍した

 祖父 能阿弥、父親 芸阿弥、相阿弥の3代を「三阿弥」と称される
 絵画では「阿弥派」と称される

 特に絵画を得意としており、
 三条西実隆の「実隆公記」や景徐周麟の「翰林葫蘆集」では、「国工相阿」と称され、一般の職業画工より優秀だったといわれる

 阿弥派は、周文流観瀑図を得意としていたが、
 大徳寺大仙院の室中の間の「山水図襖絵」など、南宗画風の柔軟な画風も描いている

 狩野元信一門と共に描いているが、
最も格式の高い室中を相阿弥が、他の部屋を狩野派が描いており、両者の格式の上下関係が分かる

 狩野元信は相阿弥の作風から多大な影響を受けており、狩野元信が画題・画本の選択や画事の相談を行なったといわれる

 明確に弟子とされる者に、単庵智伝がいる

【相阿弥の主な作品】

 絵画
 現存する確実な作品は少ない

 <紙本墨画 瀟湘八景図6幅(重要文化財)>
 大徳寺大仙院の所蔵

 <紙本墨画 瀟湘八景図16幅(重要文化財)>
 大徳寺大仙院の所蔵
 牧谿の作品などを手本にして、雄大な景観にまとめ上げたといわれる

 狩野元信一門と共に描いているが、最も格式の高い室中を相阿弥が、他の部屋を狩野派が描いている


 <廬山観瀑図(ろざんかんばくず)>
 彦龍周興の賛がある
 出光美術館所蔵


 <紙本墨画 四季山水図屏風 六曲一双>
 「鑑岳真相」の落款のある
 メトロポリタン美術館所蔵


 庭園
 <成就院月の庭(国の名勝)>
 <龍源院龍吟庭>
 <青蓮院築山泉水庭>
 <龍安寺方丈庭園>
 <銀閣寺庭園>
 <長楽寺庭園
 <願泉寺庭園>


 著書
 <君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)>
 1511年(皇紀2171)永正8年頃
 同朋衆として座敷飾を行っており、建物や部屋の用途によって漢画とやまと絵を描き分ける方式や
唐絵や唐物を飾る座敷飾の方式などを記録した伝書
 150人ほどの中国画家の伝記と、書院飾・座敷飾の図入り解説、香合や茶碗、彫物などの唐物の説明が記されている

 <東山殿御飾記>
 1523年(皇紀2183)大永3年頃
 略して「御飾書」とも称される
 東山殿(後の銀閣寺)における床の間や違い棚の装飾法が図解されている


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