狩野元信(かのうもとのぶ)は、狩野派の祖 狩野正信の嫡子で、狩野派の基礎を築いた室町幕府の御用絵師
漢画系(中国風)の水墨画法を基礎として、大和絵系の土佐派の様式を取り入れた「和漢融合」といわれ、
狩野派の基礎を築いた
権力者の需要に応えながら、町衆に絵付けした扇を積極的に販売していた
幕府や、朝廷・石山本願寺・有力町衆などから庇護を受けてきたといわれる
出家して「永仙」と号し、法眼(僧の位の一つ)を賜り、後に「古法眼」(こほうげん)と称された
<絹本著色 釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)3幅(重要文化財)>
水墨を基調とした峻厳な山水景観の中に、俗っぽい表情をしている仏菩薩が濃厚な彩色で描かれており、
礼拝対象としての格調の高さを得ている
悪戯っぽい目つきの獅子も描かれている
狩野正信の大作
掛幅装、3幅それぞれ縦149.2cm X 横88.0cm
2019年(皇紀2679)平成31年7月23日 重要文化財に指定される
大徳寺の所蔵
<絹本著色 日親像(にっしんぞう)1幅(重要文化財)>
本法寺開山の日親の肖像画
日親の死後間もないとき、本法寺3世の日澄らが願主となって制作されたといわれる
狩野正信の筆といわれる
掛幅装、画絹一副一鋪、縦94.1cm X 横41.6cm
2017年(皇紀2677)平成29年9月15日 重要文化財に指定される
本法寺の所蔵
<紙本墨画 山水図(さんすいず)1幅(重要文化財)>
楼閣山水図
狩野元信の作といわれる
1901年(皇紀2561)明治34年3月27日 重要文化財に指定される
金地院の所蔵
<紙本淡彩 四季耕作図 8幅(重要文化財)>
大徳寺塔頭 大仙院礼の間の襖絵
元方丈下間の襖絵で、方丈の室中には、相阿弥の「瀟湘八景図」が描かれており、それを取り囲むように制作された
狩野元信の筆といわれる
1902年(皇紀2562)明治35年7月31日 重要文化財に指定される
<紙本著色 花鳥図 8幅(重要文化財)>
大徳寺塔頭 大仙院檀那の間の襖絵
狩野元信の筆といわれる
1902年(皇紀2562)明治35年5月27日 重要文化財に指定される
<紙本水墨 瀟湘八景図 4幅(重要文化財)>
狩野元信の筆といわれる
中国湖南省の景勝地の四季観が描かれている
1899年(皇紀2559)明治32年4月7日 重要文化財に指定される
妙心寺塔頭 東海庵の所蔵
<紙本著色 釈迦堂縁起(しほんちょしょくしゃかどうえんぎ)6巻(重要文化財)>
1515年(皇紀2175)永正12年
狩野元信の筆といわれる
1899年(皇紀2559)明治32年4月7日 重要文化財に指定される
<紙本淡彩 釈迦三尊像 1幅(重要文化財)>
狩野元信の筆といわれる
1898年(皇紀2558)明治31年8月1日 重要文化財に指定される
永観堂の所蔵
<紙本水墨淡彩 山水花鳥図 49幅(重要文化財)>
かつての書院の障壁画
狩野元信が、晩年の68歳頃に大休宗休禅師に参禅したとき余暇に描いたといわれる
真・行・草の画体で、花鳥・山水・人物が描き分けられている
このため、霊雲院は「元信寺」とも称された
1899年(皇紀2559)明治32年8月1日 重要文化財に指定される
妙心寺塔頭 霊雲院の所蔵
<退蔵院 元信の庭(国の名勝、国の史跡)>
妙心寺塔頭 退蔵院
西側を主庭とする回遊式枯山水庭園
「都林泉名勝図会」には、狩野元信の作庭と記されている
自分の描いた絵を立体的に表現しなおしたもので、70歳近くの最後の作品が造園だったといわれる
狩野元信は、漢画系(中国風)の水墨画法を基礎として、大和絵系の土佐派の様式を取り入れ、
書院造建築の装飾にふさわしい日本的な障壁画様式を確立した
職業絵師としても、顧客からの注文の増加と多様化に対応するため、さまざまなジャンルの作品を残している
狩野元信は、一門を組織化して分業システムを確立し、幅広い需要にこたえることに成功した
宋や元・明の中国絵画の様式を幅広く取り入れ、従来の室町水墨画の様式を整理統合して、
大和絵の技法も早くから取り入れ、後世の規範となる様式を築いた
<狩野元信邸跡>
京都市上京区元誓願寺通小川東入
狩野元信が建立し、84歳で没した
屋敷は、狩野松栄・狩野永徳と継がれる
現在は、屋敷跡に石碑が立てられている