長楽寺(ちょうらくじ)
(ChourakuJi) 京都通メンバ
所在地:京都市東山区八坂鳥居前東入円山町 
   卍地図情報卍

時宗の寺院

山号:黄台山

本尊:准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)

創始:805年(皇紀1465)延暦24年

創建:伝教大師 最澄

中興の祖:国阿上人(こくあしょうにん)

洛陽三十三所観音巡礼第七番札所(准胝観音菩薩) 右矢印第八番札所へ右矢印

重要文化財:2件(彫刻7躯・古文書1件)

 長楽寺(ちょうらくじ)は、円山公園の奥、長楽寺山の麓に立ち京都市内が一望できる絶景地にある寺院
 秋には紅葉の名所となる

 桓武天皇の勅命により、伝教大師 最澄により創建された

 平安時代には、京の七観音の一つとされる

 建礼門院が、壇ノ浦の戦いにおいて、安徳天皇らとともに入水するが、源氏に捕らえられ、京都に戻され、
侍女の阿波内侍とともに長楽寺で、落飾し出家し、尼「直如覚」となった

【長楽寺の歴史・経緯】





【長楽寺の伽藍】

 室町時代には、
円山公園のほとんどを含む広大な境内があったが、東大谷の創建により幕府から割かれるなどして現在の広さとなる

 <本堂(京都市指定文化財)>
 1890年(皇紀2550)明治23年
 現在の本堂が、伏見城の遺構といわれる愛宕郡西賀茂村(現在の北区西賀茂)の正伝寺の法堂を移築された
 1666年(皇紀2326)寛文6年に創建されたもの
 桁行3間・梁行3間・四周裳階付・小規模禅宗様仏殿
 内部は、四半敷、身舎(もや)を格天井、裳階部を化粧屋根裏となっている
 柱は全て丸柱で、石造礎盤の上に立っている
 身舎は、台輪上に出組を詰組にして、入母屋造・本瓦葺の屋根となっている
 須弥壇前の2本の柱は、背面身舎柱筋より半間前方に立っている

 <庭園
 相阿弥が、室町八代将軍 足利義政の命で銀閣寺の庭園を作るとき、試作的にこの庭を作ったといわれる
 東山の傾斜地沿いに、境内の高低差を利用して、自然をとりいれた作庭がされている
 滝の水を引いた苑池がある

 <建礼門院十三重御塔>
 建礼門院が御髪をおろされた名残の御髪塔(ごはっとう)
 かつて長楽寺山腹の八丁台と称される景勝の地に立っていた
 1868年(皇紀2528)明治元年
 現在の地に移される

 <長楽寺の鐘>
 1657年(皇紀2317)明暦3年の鋳造
 戦時中に没収される
 1956年(皇紀2616)昭和31年に再興される

 <平安の滝>
 「八功徳水」と称される清冽な水が山腹から湧き出ている
 滝壷を囲む石壁には、多くの石仏が刻まれている

 <富岡鉄斎書の手水鉢>
 富岡鉄斎の作
 本堂への石段脇におかれている

 <水戸藩留名之碑>
 第15代将軍 徳川慶喜に仕え、御所守衛を務め亡くなった水戸烈士戦没者87名の名前が刻まれている

 <尊壌記念碑>

 <墓地>
 文人 頼山陽、頼三樹三郎(らいみきさぶろう)父子のお墓
 最後の江戸幕府将軍 徳川慶喜の弟 徳川明訓(とくがわあきくに)のお墓
 影夫人・松平昭訓・寺井玄渓らのお墓がある
 水戸藩京都留守居役 鵜飼吉左衛門と、息子 鵜飼幸吉のお墓
 尊皇攘夷運動をした水戸藩 大場一真斉・原市之進のお墓
 水戸烈士の墓所「尊攘苑」もある





【長楽寺の寺宝】

 仏像・彫刻

 <准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)>
 本尊
 最澄が、唐へ向かって海を渡るときにご加護を受けた准胝観音菩薩を、自ら刻んだもの
 二頭の龍にまたがった非常に珍しい観音菩薩
 泰安の厨子に勅封された秘仏
 歴代天皇の御帰依が深く、勅封の秘仏として、歴代天皇の即位式と、厄年の勅使代参のときのみに開帳される

 <慶派大仏師作遊行上人像 7躯(重要文化財)
 時宗の7人の祖師(遊行上人)(ゆぎょうしょうにん)の像
 いずれも等身大、檜材の寄木造、玉眼を嵌入
 一遍上人の遊行像一躯以外は、像主や作者は不詳で、鎌倉時代から室町時代の作
 慶派 七条仏所と関係が深かった金光寺に伝えられたもの
 1908年(皇紀2568)明治41年
 金光寺が廃絶になり、長楽寺に遷された
 1980年(皇紀2640)昭和55年6月6日 重要文化財に指定される

 ・智真立像
   宗祖 一遍上人立像    像内に、応永二十七年二月、康秀作の銘がある
 ・真教倚像
   二祖 真教上人像
 ・一鎮坐像
   遊行六代 一鎮上人像
   像内に、建武元年六月、檀那与阿弥陀仏、幸俊等の銘がある
 ・尊明坐像
   遊行十三代 尊明上人像
   像内に、応永十四年二月、金光寺第十三代、康祐法印、康秀法橋等の銘がある
 ・太空坐像
   遊行十四代 太空上人像
   左手指に十四代上人の刻銘がある
 ・尊恵坐像
   遊行十五代 尊恵上人像
   像内に応永二十八年十二月、七条仏所等の銘がある
 ・暉幽坐像
   遊行十七代 暉幽上人像
   像内に、遊行十七代、七条西仏所等の銘がある


 <木造 建礼門院御尊像>
 四天王寺大仏師 松久朋琳の作
 建礼門院御影像を模写して木像に彫刻したもの

 <崇徳上皇御念持三尊仏>
 恵信僧都の作
 1907年(皇紀2567)明治40年
 七条道場金光寺の本尊として祀られていたものが、金光寺の合併で移管される
 崇徳上皇は、1156年(皇紀1816)保元元年、保元の乱で敗れ、隠岐に流されそこで崩御される
 その後、京都において異変が相次いで起こり、崇徳上皇の怨霊の祟りとされ、霊魂を鎮めるために
念持仏であった恵信僧都作の弥陀三尊像が祀られることになったといわれる

 <弁財天像
 伝教大師 最澄の作
 長楽寺山を守る神、この地に流れ出る湧き水を守る鎮守の神として祀られる

 <布袋尊像
 東福寺開山 聖一国師が、帰朝のとき、三国の土で自作したといわれる
 鎌倉時代に、その技法が中国より伝わったという泥像
 土をこねたままで、焼かれず鎌倉時代中期から保存されている貴重なもの
 京都のおくどさん(釜戸)の上に祀られている七体の布袋は、
内乱のため笑いを失っている家庭をみた聖一国師が人形師に命じてこの像を写し作らせ、
各戸に配らせられたものだといわれる
 京都七福神の一つ

 障壁画・襖絵・絵画

 <安徳天皇御影>
 渡辺拍舟画伯によって模写されたもの
 原画は、泉涌寺にあり、平安時代の似せ絵師の家系 宅間法眼の作と記されている

 <建礼門院御影像>
 29歳で出家した建礼門院の御影といわれている
 源氏方の目を逃れるため、当時は、表面を墨で覆い隠して祀られていたといわれる

 古文書

 <遊行歴代他阿弥陀仏書状類(ゆぎょうれきだいたあみだぶつしょじょうるい)24通 23巻(重要文化財)>
 鎌倉時代から江戸時代
 時宗七条道場 金光寺に伝来した歴代他阿弥陀仏書状類
 二祖 真教上人から32祖 普光上人までの10代の書状が一括伝存している
 遊行歴代が門弟や時衆に宛てて念仏義の勧化や衆中の掟を説いたものが多い
 1980年(皇紀2640)昭和55年6月6日 重要文化財に指定される
 附指定:寛永三年歴代他阿上人書状目録 一巻

 その他、工芸品など

 <安徳天皇御衣幡>
 8歳で入水して亡くなった安徳天皇が最後に着ておられた直衣(のうし)を16旒の仏幡に縫い菩提を弔ったといわれる
 その2旒が保存されている
 建礼門院の唯一の遺宝とされる

 <建礼門院御幡箱>
 織田長好の寄進

 <後水尾天皇勅額>
 後水尾天皇が、再興の宣旨を下し、寺号の勅額を下賜された

【長楽寺の祭事】

 <七福神詣>
 1月1日〜15日
 布袋尊が祀られている

 <布袋祭> 1月15日

 <もみじ祭>
 11月23日
 扇祈願会、京舞奉納が行われる

 <お炊き上げ> 12月第2日曜日
 <除夜の鐘> 12月大晦日



【長楽寺の御詠歌】

 ここもまた じゅうどなるらん ちょうらくじ にはのはちすも はっくどくすい

【長楽寺へのアクセス】

 市バス 祇園 徒歩約15分
 京阪電車 四条 徒歩約15分
 阪急電車 河原町 徒歩約20分

LINEで送る

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第4回1級】

【京都検定 第10回1級】

【京都検定 第16回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク