仙叟宗室(せんそうそうしつ)

江戸時代初期の茶人

生年:1622年(皇紀2282)元和8年
没年:1697年(皇紀2357)元禄10年
享年:76

父親:千家3代 千宗旦
四男

幼名:長吉郎
通称:玄室

千家4代目
裏千家初代家元(4代目)

 仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、千家4代目で、裏千家の初代家元となった茶人

 父親 千宗旦の四男で、屋敷の北裏の茶室今日庵」を譲り受け、裏千家の由来となる

 加賀前田家の前田利常に仕官し、裏千家の基礎を築く

【仙叟宗室の歴史・経緯】

【その他】

 <千宗旦の子>
 長男(先妻の子):閑翁宗拙:勘当され千家を離れた
 次男(先妻の子):一翁宗守武者小路千家の始祖
 三男(後妻の子):江岑宗左:家督を継ぐ、表千家の始祖
 四男(後妻の子):仙叟宗室:裏千家の始祖

 <裏千家
 宗室の死後、すぐに5代 常叟宗室が加賀前田家に仕官したが、ほどなく辞して伊予松山藩久松家に仕官する
 以降、幕末まで、久松家に仕官しながら前田家とも交流を続ける
 8代 一燈宗室のときには、徳島藩蜂須賀家にも出向いている

 <今日庵
 裏千家の代表的な茶室
 無色軒の腰掛待合の屋根は、加賀や北陸地方の民家の造りを模したものといわれる

 <茶道具>
 仕官した加賀 前田利常が、風雅を好む大名で名品を好み、多くの茶器や絵画を収集したことで、名品に触れる機会が多かった
 前田利常は、小堀遠州、本阿弥光悦らを加賀に招いて、茶道具の研究を行ったといわれる
 将軍を招いて茶会が催され、宗室も必ずそばに控えていたといわれる

 <大樋焼>
 石川県金沢市にある楽焼の脇窯
 楽家の高弟だった長左衛門を加賀に連れて行き、楽家伝来の独特の飴釉を使った作陶を行った
 初代 大樋長左衛門は、宗室が加賀を去った後も加賀に留まり、この地に茶の湯を普及していったといわれる

 <鋳物師 宮崎寒雉の釜>
 秘伝の技法を持ち、独特の肌と風合いをしており、洗練さの中に野趣を感じさせ、宗室が好んだ
 代表的な作品に「焼飯釜」がある


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