不審菴(ふしんあん)
(FushinAn)
所在地:
京都市上京区
小川通寺之内上ル東側
地図情報
流派:
表千家(おもてせんけ)
創建:1580年(皇紀2240)天正8年頃
創建:
千利休
国の名勝
重要文化財:建造物1棟(表千家祖堂)、美術工芸品2件(絵画・工芸品)
不審菴(ふしんあん)は、茶道流派 三千家の一つ表千家(おもてせんけ)の代表的な茶室
「表千家」の名前は、不審菴が、裏千家(今日庵)に比して通りの表にあることによる
「不審菴」とは、茶室の名前でもあるが、表千家の屋敷全体や組織のこともさしていう場合もあり、
千宗左家元の号でもある
裏千家では「今日庵」、武者小路千家では「官休庵」と称される
【不審菴の歴史・経緯】
表門のたたずまいや、玄関へ向かうアプローチ、建物のたたずまいに格式張ったところがなく、
千利休の「しほらしく異風になく目に立たぬこと」が受け継がれている
<不審菴>
1913年(皇紀2573)大正2年の再建
外観は、鄙びた(ひなびた)味わいがある建物
柿葺の小さい切妻屋根
屋根の前と左の側面に庇が付けおろされ、全体的に低くなるように工夫されている
内部は、客座三畳敷に、台目構えの点前座がついている
躙口の正面に床が設けられ、壁を塗廻した火灯口(給仕口)があけられている
客座は、化粧屋根裏で、奥の半分だけ蒲天井がはられている
壁面に、連子窓や下地窓が開けられ、明りが取り入れられている
屋根裏には、突上窓が切られている
炉は「台目構」と称され、台目切として、炉のかどに中柱を立て袖壁をつけて、二重の棚を吊っている
袖壁の下から道具の配置が見えるように、竹の止まりが入れられている
中柱は、赤松皮付
茶道口が、点前座の風炉先の方にあけられ、点前座の脇に板を入れて出入りがしやすいように工夫されている
<表千家祖堂(おもてせんけそどう)1棟(重要文化財)>
千利休像が祀られ、流祖にお茶を献するための建物
祀堂・點雪堂(四畳半道安囲の茶室)・反古張席(一畳台目向板付茶室)・勝手・水屋などからなる
反古張席・勝手は後に増設された
1789年(皇紀2449)寛政元年
千利休の長男 千道安が、自分好の茶席として創建したもの
1976年(皇紀2636)昭和51年5月20日 重要文化財に指定される
<残月亭>
1909年(皇紀2569)明治42年の再建
<表門>
1822年(皇紀2482)文政5年
九代 了々斎の仕えた紀州 徳川治宝(とくがわはるとみ)が、表千家に御成りになり、その後に拝領した門
武家屋敷の門の面影が残る
<土蔵>
<梅見門>
門を潜ると不審菴の内露地に入る
<随流垣>
梅見門の両脇の疎らな垣(まばらなかき)
<内外腰掛>
<砂雪隠>
<水鉢>
礎石を利用したもので、
千少庵の時から使われてきたもの
<庭園(
露地)>
不審菴露地・残月亭露地・黒占雪堂露地の3構成
小さい飛石が、蹲踞、躙口へ導く
不審菴露地
佗草庵本位の
露地
桃山末期の様式を残す貴重な遺構
残月亭露地
飛石本位の
露地
桃山時代末期の様式を残す貴重な遺構
【不審菴の文化財】
<絹本著色 千利休像(せんのりきゅうぞう)1幅(重要文化財)>
1595年(皇紀2255)文禄4年9月15日
大徳寺第111世 春屋宗園(しゆんおくそうえん)の賛がある
樂家初代の田中宗慶の依頼によって制作された千利休の遺像
長谷川等伯の筆とされる
1996年(皇紀2656)平成8年6月27日 重要文化財に指定される
<瀬戸黒茶碗(せとぐろちゃわん)(小原木)(おはらぎ)1口(重要文化財)>
桃山時代
岐阜県の美濃窯で製作された瀬戸黒茶碗
瀬戸黒は、鉄釉を施し、焼成中に窯から引き出すことによって漆黒色となることから称され、
茶碗のみが製作されている
桜曲物溜塗内箱の蓋表に、千利休の筆といわれる「小原木」銘が記されている
2011年(皇紀2671)平成23年6月27日 重要文化財に指定される
【その他】
<名前の由来>
千利休に名付けを依頼された古渓宗陳が、「不審花開今日春(ふしんはなひらくこんにちのはる)」という禅語から名付けたといわれる
「不審」は「いぶかしい」という意味で、人智を超えた自然の偉大さ、不思議さに感動する心をいうといわれる
「不審菴」とは、茶室の名前でもあるが、表千家の屋敷全体や組織のこともさしていう場合もあり、
千宗左家元の号でもある
裏千家では「今日庵」、武者小路千家では「官休庵」といわれる
【不審菴へのアクセス】
市バス 堀川寺之内 徒歩約5分
地下鉄 烏丸線
鞍馬口駅 徒歩約15分
【京都検定 第8回3級】
【京都検定 第14回3級】
【京都検定 第16回3級】
【京都検定 第18回3級】
【京都検定 第24回3級】
【京都検定 第1回2級】
【京都検定 第3回1級】
【京都検定 第21回1級】