今日庵(こんにちあん)は、三千家の一つ・茶道の最大の流派 裏千家(うらせんけ)の代表的な茶室
千宗旦が、表千家 不審菴を江岑宗左に譲り、北裏に、隠居所として建てたもの
裏千家の禅と茶を一体にとらえたわび草庵の茶室
「裏干家」の名は、表千家(不審菴)の北裏にあることから称される
「今日庵」は、二畳敷の「今日庵」と四畳半の「又隠」など、裏千家住宅の建物の全てをさしていう場合もある
<裏千家住宅(うらせんけじゅうたく)1棟(重要文化財)>
数寄屋造の洗練された茶匠の住宅
大規模で、複雑な形態となっている
裏千家で最も重要な茶室である又隠(四畳半茶室)と今日庵(一畳台目向板付茶室)、
新しい広間の茶座敷である抛筌斎や咄々斎、玄関、台所などから構成される
1839年(皇紀2499)天保10年頃の建立
1976年(皇紀2636)昭和51年5月20日 重要文化財に指定される
今日庵(こんにちあん)
千宗旦が、隠居所として建てた茶室
一畳台目向板付茶室
一畳という最も狭い草庵
床も壁面を代用してある
茶室の構成を極限まで 切り詰められて、侘びがもとめられている
又隠(ゆういん)
茅葺の南面入母屋造、四畳半の茶室
採光のための庇の突上げ窓・筆先柱・網代の駆入天井など、利休好みの草庵
躙り口の周りには、千宗旦の創意による豆を撒いたような配石がされている
「又隠」とは、千宗旦が、今日庵を創建し隠居した後も諸務を行っていたが、新たに創建した庵にまた隠居するという意味
寒雲亨
建院造の茶室
八畳、床・柳の間、附書院付
1788年(皇紀2448)天明8年の建立
大玄関
露地の正面にあり、茶道の「玄妙の関(げんみょうのせき)」
敷瓦の玄関先で、黒い竹簀子(たけすのこ)のあがりがまちと白い障子
簡潔な檜皮葺(ひわだぶき)の庇
無色軒(むしきけん)
持ち物を整えた後、初めて通される部屋を「無色軒」と称する
「松無古今色」にちなんで、七代 竺叟宗乾が好んだ茶室
天明の大火の後に再建される
五畳敷に、踏込床とされる一畳の榑縁(くれえん)が付く
炉は、本勝手向切で、下座には張壁床がある
点前畳の左隅に、しつらえた仙叟好みの釘箱棚・榑縁張りがあり、点前畳との境の下地窓や鴨居などがある
溜精軒(りゅうせいけん)
寒雲亭と大水屋との間にある六畳
風炉先の下地窓が使いふるしの柄杓の柄でつくられていて「杓の柄窓」と称される
11代 玄々斎の好みで、逆勝手出炉となっている
桑の一枚板の大棚で、床は、点前畳の勝手付壁面が当てられ亭主床の構えになっている
侘び茶の精神にあふれた構成になっている
除夜釜だけに使用される
寒雲亭(かんうんてい)
八畳に一間の本床・一畳の控えと付書院がある
千宗旦の好みで創建されたもので、侘び本位ではなく書院造りとなっている
天井は、貴人のために「真」、お相伴の人に「行」、 自ら茶を点てる場所には「草」と、真行草の三段に張り分けてある
狩野探幽の筆の八仙人の手違いの襖、東福門院よりの拝領品を象った櫛形の欄間などもある
咄々斎(とつとつさい)
八畳の席
1839年(皇紀2499)天保10年
利休250年忌にあたり、11代 玄々斎が造営していた「稽古の間」
1856年(皇紀2516)安政3年
宗旦200年忌にあたり改修して、千宗旦の斎号「咄々斎」にちなんで改名された
床は、8代 又玄斎一燈宗室の手植えの五葉松の古材が用いられている
床脇は、踏込地板敷の正面に大きな下地窓があり、千利休が秀吉から拝領した銅鑼(どら)が吊ってある
天井は、五葉松の古材を長板の寸法に切り、組み違いに張った格天井で、「一崩しの天井」と称される
床脇上方の竹、前庭の「梅の井」とで、「松竹梅」とされる
欄間の香狭間桐透しや反古襖(ほごぶすま)などは、玄々斎の趣向といわれる
扁額の「咄々」は、小松宮彰仁親王の筆
大炉の間
咄々斎の次の六畳の間
11代 玄々斎が、「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり。 但し、六畳の席よろし」と言っている
大炉は、厳寒のときのみ開炉して用いられる
反古襖(ほごぶすま)
咄々斎と大炉の間の取合の襖
11代 玄々斎 精中宗室の直筆
1856年(皇紀2516)安政3年の「安政三辰年夏」の判がある
半間襖四枚に、十二段にわたって、茶道具や点前作法、利休道歌が書かれている
梅の井(うめのい)
前庭の井戸
最もお茶に適応した名水といわれる
新年に利休像前に供える大福茶は、梅の井の若水を汲んで、家元自らが点てる
そばの手水鉢は、玄々斎の縁故で、尾張徳川家より拝領した菊花石で、見込に菊の斑点がある珍石
抛筌斎(ほうせんさい)
十二畳敷の広間
利休居士250年忌にあたり、11代 玄々斎が造営し、千利休居士の斎号にちなんで「抛筌斎」と名付けられた
一間の本床があり、床脇に地袋と一枚板の棚が設けられている
床前二畳が高麗縁の貴人座となっているが、特に上段とはされず、侘びを第一とされている
又新(ゆうしん)
14代 淡々斎の還暦を記念して、嘉代子夫人の設計により建立される
「又隠」に対して「又新」と名付けられる
立礼席と六畳、三畳台目の茶室からなる
土間には、「御園棚」と称される立礼棚が据えてある
照明や調度品など、現代の自由清新な感覚が取り入れられ、伝統を新たに受け継いでいく茶道のあり方が表される
対流軒(たいりゅうけん)
13代 円能斎 鉄中宗室好みの広間
扁額も、円能斎の手蹟によるもの
床柱は、又隠の前庭にあった老松が、床脇の袋棚には、御祖堂の戸張の残り裂が用いられている
欄間の遠山風の透しは、銅鑼の旋律を表わしているといわれる
槍の間
8畳
三猿舎
四畳半
水屋・棚付
利休堂
三畳中板入茶室
上段・祀堂付
台所
土間、板間及び事務室、井戸付
階段室
押入付
仏間
大水屋
などからなる
<表門 1棟(重要文化財附指定)>
「兜門(かぶともん)」
檜皮葺で、簡素な門構えの竹樋のただずまい
<外露地>
腰掛待合から中門まで、まっすぐな霰こぼしの石畳が延びている
両端には、樹々が小高く繁っていて、余計なものは除かれている
<中門>
景色を持たせない外露地と、幽玄の趣を盛り上げた内露地との境界の門
鉈撲り(なたなぐり)の手法を用いた、北山丸太の柱に、割竹葺(わりだけぶき)の、
中心となる茶室の趣向を壊さないように極めて簡素にされている
<今日庵(裏千家)庭園(国の名勝)>
1957年(皇紀2617)昭和32年710日 国の名勝に指定される
<四方仏の蹲踞(よほうぶつのつくばい)>
又隠の席の前庭におかれた方形の手水鉢
石塔の塔身を用いたもので、四面に仏さんが刻まれている
<小袖の蹲踞(こそでのつくばい)>
寒雲亭の前におかれた平たい大きな手水鉢
千利休が、豊臣秀吉から、着物の小袖を賜ろうとしたとき、千利休は「小袖よりも庭の石を賜りたい」と言って与えられたもの
<腰掛待合>
無色軒から、露地へ降りて、飛石にしたがって数歩行ったところにある
お客は、亭主の迎えがあるまで、 しばらく待つところ
檜皮葺
竹縁の下に、正客の踏石となる一際目立つ石を「貴人石」と称する
丸太柱には、棕櫚箒(しゅろぼうき)が掛かっている
<御祖堂>
邸内の奥まったところにある
大徳寺山門の楼上に置かれた等身大の千利休居士像と、三代宗旦居士の小座像が、床正面の丸窓の奥に祀られている
「清寂院」という九条尚忠の筆の扁額がかけられている
三畳中板に炉が切られている
正月元旦と、宗家古式慣例の儀式はここで行われる
隣接の仏間には、歴代宗匠方の位牌が安置されている
<千利休居士・千宗旦居士遺蹟今日庵の石碑>