1869年(皇紀2529)明治2年
64校の番組小学校が開校される
京都府により、各番組に対して、新築校舎の模範設計が示されている
校舎は、2階建てで、1階中央の玄関を入ると、左右に大小の差のある男女の筆道場がある
2階には、広間の講堂、出勤場(職員室)、算術教室が置かれた
敷地は、有志の寄附や寺社の敷地の一部でまかなわれ、運動場もなく、民家とあまり変わらない大きさなところもあった
建設費は、各番組に対して、京都府から800円が貸与され、半額が無利子の10年年賦で返済の予定とされた
各番組の全戸別に対して、半年に1分の軒金が課せられ、有志による寄付と合わせて運営費に充当された
各番組では、「上(下)京○○番会社」を設立して、資金運用に当たった
教育機関だけでなく、町会所、府の出先機関としても利用され、警察や望火楼なども設置され、塵芥処理や予防接種など
保健所の役割も担っていた
1870年(皇紀2530)明治3年1月
各番組小学校において、「稽古はじめ式」が催され、授業が開始される
式典では、孔子と菅原道真の神像が祀られたといわれる
授業科目は、「句読」「暗誦」「習字」「算術」の4科であった
1869年(皇紀2529)明治2年
番組小学校の学校名は、「元学区」ごとに「上京第○○番組小学校」などと番組名を用いて名付けられた
番組名と元学区との対応
<上京>
第1番組 - 乾隆(けんりゅう)
第2番組 - 成逸(せいいつ)
第3番組 - 翔鸞(しょうらん)
第4番組 - 嘉楽(からく)
第5番組 - 西陣(にしじん)
第6番組 - 室町(むろまち)
第7番組 - 室町(むろまち)
第8番組 - 仁和(にんな)
第9番組 - 仁和(にんな)
第10番組 - 正親(せいしん)
第11番組 - 桃薗(とうえん)
第12番組 - 小川(おがわ)
第13番組 - 室町(むろまち)
第14番組 - 出水(でみず)
第15番組 - 聚楽(じゅらく)
第16番組 - 中立(ちゅうりつ)
第17番組 - 待賢(たいけん)
第18番組 - 滋野(しげの)
第19番組 - 滋野(しげの)
第20番組 - 梅屋(うめや)
第21番組 - 竹間(ちっかん)
第22番組 - 富有(ふゆう)
第23番組 - 教業(きょうぎょう)
第24番組 - 城巽(じょうそん)
第25番組 - 龍池(たついけ)(京都国際マンガミュージアム)
第26番組 - 初音(はつね)
第27番組 - 柳池(りゅうち)
第28番組 - 京極(きょうごく)
第29番組 - 京極(きょうごく)
第30番組 - 春日(かすが)
第31番組 - 銅駝(どうだ)
第32番組 - 錦林(きんりん)
第33番組 - 新洞(しんとう)
<下京>
第1番組 - 乾(いぬい)
第2番組 - 本能(ほんのう)
第3番組 - 明倫(めいりん)(京都芸術センター)
第4番組 - 日彰(にっしょう)
第5番組 - 生祥(せいしょう)
第6番組 - 立誠(りっせい)
第7番組 - 郁文(いくぶん)
第8番組 - 格致(かくち)
第9番組 - 成徳(せいとく)
第10番組 - 豊園(ほうえん)
第11番組 - 開智(かいち)(京都市学校歴史博物館)
第12番組 - 永松(ながまつ)
第13番組 - 醒泉(せいせん)
第14番組 - 修徳(しゅうとく)
第15番組 - 有隣(ゆうりん)
第16番組 - 尚徳(しょうとく)
第17番組 - 稚松(わかまつ)
第18番組 - 菊浜(きくはま)
第19番組 - 植柳(しょくりゅう)
第20番組 - 皆山(かいざん)
第21番組 - 安寧(あんねい)
第22番組 - 淳風(じゅんぷう)
第23番組 - 梅逕(ばいけい)
第24番組 - 有済(ゆうさい)
第25番組 - 粟田(あわた)
第26番組 - 新道(しんみち)
第27番組 - 安井(やすい)
第28番組 - 六原(ろくはら)
第29番組 - 貞教(ていきょう)
第30番組 - 修道(しゅうどう)
第31番組 - 一橋(いっきょう)
第32番組 - 淳風(じゅんぷう)
第33番組 - 弥栄(やさか)
<京都市学校歴史博物館>
下京第11番組小学校跡(開智小学校跡)
下京第7番組小学校の孔子と菅原道真の神像が展示されている
<京都国際マンガミュージアム>
上京第25番組小学校跡(龍池小学校跡地)
<町組(ちょうぐみ)>
道路をはさんで形成された町が集まって地域的に連合した自治組織
豊臣秀吉の都市改造政策の頃に原型が形成され、発展しながら継続されてきている
<町組改正>
1868年(皇紀2528)明治元年11月
京都府は、江戸時代の町組を下記のように変える
「上京(かみぎょう)」「下京(しもぎょう)」を「上大組(かみおおぐみ)」「下大組(しもおおぐみ)」とする
それぞれに、京都府知事が任命する大年寄(おおどしより)を置いて組内をまとめる
「親町(おやちょう)古町(こちょう)・枝町(えだちょう)・新町(しんちょう)を廃止して、20ヶ町を単位に、
「上京何番組」「下京何番組」と呼称する
組ごとに任期1年で組内で公選された中年寄・添年寄を各1名を置く
この第一次町組改正で、二条通を境にして上大組(元上京)を45の組、下大組(元下京)を41の組に分けられる
1869年(皇紀2529)明治2年
町数の平均化などのために、第二次町組改正を行われる
三条通を境線に、平均町数を1組あたり26、27ヶ町とし、上京が1〜33番組、下京が1〜32番組の計65の町組が成立する
このとき確定した町組が、現在の元学区につながっている
<元学区(もとがっく)>
番組小学校を運営していた、独自の財源を持ち教育経費を負担する区域の自治団体
現在も、京都独自の地域住民の自治単位として機能している
1941年(皇紀2601)昭和16年
国民学校令により、小学校の運営はなくなる
戦後は、小学校が一部で新制中学に転用され、元学区と小学校の通学区も完全に重ならなくなる
<竈金(かまどきん)>
番組小学校の運営のために集められた出資金
番組内のすべての戸(家)から定められた金額が集められ、各家庭にある竈(かまど)にちなんで「竈金」と称せられた
各家庭に子供がいるいないに関わらず出し合い、出資できない戸は番組内で肩代わりしてもらった
町組によっては、竈金や寄付金を元手に貸し付けを行う小学校会社を設立し、利子を学校運営資金に充てたところもあった
「竈金の精神」といわれ、地域ぐるみで子ども達を育てられていた
<太鼓望楼>
番組小学校の屋上に作られた望火楼・物見櫓・火の見櫓
火の見櫓として、半鐘を鳴らして、火事を知らせるとともに、太鼓をたたいて町内に時刻を知らせていた
有済小学校の屋上にだけ唯一残されている(国の登録文化財)