鷹峯(たかがみね)は、京都市北区南西部に鷹峯街道を中心に広がる地域名
その西南方に連なる丘陵の名称でもある
江戸時代に本阿弥光悦が徳川家康より土地を与えられ芸術・文化の一大拠点の光悦村が形成されたところ
鷹峯(たかがみね)は、京都市北区南西部に鷹峯街道を中心に広がり、右京区とも接している
京の七口の一つ「長坂口(ながさかぐち)」から丹波国、若狭国へ続く鯖街道の入口にあたる
南東から北西にかけて細長く広がり、東側は鷹峯街道沿いの台地に、西側は天神川(紙屋川)沿いの谷間になっている
東には大宮学区とほぼ並行して隣接している
それらの北西後方は杉阪の集落に至るまで、小高い丘陵が広がる
鷹峯街道沿いの鷹峯小学校の標高は約160mで、比叡山の叡山ケーブル八瀬駅とほぼ同じ標高
春は桜の名所(常照寺)、秋は紅葉の名所
鷹峯三山は、大文字山(左大文字)の北方に位置し、鷹峯の西方に連なる丘陵をいう
東から鷹峯(鷹ケ峰)(たかがみね)・鷲峯(鷲ケ峰)(わしがみね)・天峯(天ケ峰)(てんがみね)
花札の8月の絵札の「芒」は、この鷹峯の山を模したものといわれる
鷹峯三山自体は、隣の衣笠地域内にあるが、「大北山鷲峯町」との名前が残されている
<地蔵大菩薩>
<圓成寺・岩戸妙見宮>
<源光庵>
<常照寺・帯塚>
<遣迎院>
<吟松寺>
<光悦寺>
<瑞芳寺>
<しょうざん光悦芸術村>
<讃州寺>
<金蓮寺>
<天神川・紙屋川>
右京区鳴滝の沢山東麓を水源とし、一旦、北流して、北区鷹峯大谷町を囲むように東へ出て、そこから南流する
1640年(皇紀2300)寛永17年
江戸幕府が御土居より南に広大な薬草園を開き、幕府医官 御典医 藤林道寿綱久を薬園預りに任じた
その後、藤林家が「道寿」を世襲し、薬草園の管理にあたり、辛味大根・朝鮮人参・唐辛子など野菜を栽培して
幕府に納めたことにより、京の伝統野菜の名産地となっている
<鷹峯とうがらし>
京の伝統野菜に準じる京野菜
伏見とうがらしより太く、万願寺とうがらしともやや形が異なり、辛みがなく、肉厚である
ハウスで定植され、夏から秋にかけて収穫、出荷される
1943年(皇紀2603)昭和18年頃からこの地で栽培が始められた
<辛味大根>
<聖護院だいこん>
<朝鮮人参>
<鷹峯ねぎ>
<鹿ヶ谷かぼちゃ>