菖蒲谷遺跡(しょうぶだにいせき)は、右京区梅ヶ畑にある旧石器時代の遺跡
洛西や山科盆地中央部、洛北などで人々が暮らしはじめたとされる旧石器時代(先土器時代)の遺跡
同時代の遺跡が近くの沢ノ池遺跡と広沢池遺跡にある
1956年(皇紀2616)昭和31年
池畔から後期旧石器時代・縄文時代の石器・土器が出土した
当時、京都盆地とその周辺部は、先土器時代遺跡がない全国でも数少ない地域で、
京都盆地には縄文時代から人の生活が始まったと考えられていたが
数万年以前にまで遡ることとなった
石器は、池中央部西側の南北約30mに限られた範囲から採集されている
石鏃・石錐・スクレイパ・石匙・ナイフ形石器、剥片・石核などが採集された
チャートを石材に利用して、縦長剥片を素材にしてる近畿地方では珍しい特徴がある
<ナイフ形石器>
いくつも採集されている
チャート製の縦長剥片を用いて作られたもの
サヌカイト製の小型の切り出し形のもの
加工痕または使用痕の明瞭な剥片石器など
平安時代の土器類も採集されている
<菖蒲谷(しょうぶだに)>
宮中に菖蒲を納めていた地であることから名付けられたといわれる
<菖蒲谷池(しょうぶだにいけ)>
梅ヶ畑菖蒲谷にある人工の池
南北に長い池で、面積3.2ha
寛永年間(1624年~1644年)
大覚寺法親王と角倉了以が計画していた遺志を継いで、角倉了以の甥 吉田光長・吉田光由により造られた
菖蒲谷の北側に堤防を築き水をためた
菖蒲谷池の南から北嵯峨へは「角倉隧道」と称される長尾山の下にトンネルが同時に掘られ北嵯峨一帯の田畑を潤した
灌漑用隧道長さ約190m
<菖蒲谷池碑>
菖蒲谷池と角倉隧道築造の経緯を記して、当事者を顕彰されている
碑文は、第3代京都府知事 北垣国道の書
<菖蒲谷池遊園地>
嵐山と高雄を結ぶ観光有料道路「嵐山-高雄パークウエイ」にある
池の西側中央部にある
ボートやペダルボート、バーベキューコーナ、「水辺のジップライン」などがある