祇園東(ぎおんひがし)は、京都五花街の一つ
祇園(八坂神社より西側、鴨川付近まで、北は新橋通から南は建仁寺あたりまで)を、東西に走る四条通と、
南北に走る花見小路通で4分割したときの北東の一画
(祇園東以外の祇園地域が、祇園甲部)
このあたりに膳所藩屋敷が存在していたことから「膳所裏」とも称されていた
大正時代には娼妓が多く、遊客数は、祇園甲部の倍以上あったといわれる
かつては、温習会や練り物が催されていたが現在は行われていない
<始業式(しぎょうしき)>
1月7日 新年を迎えて芸妓・舞妓さんが一堂に会して清進を誓う
<初寄り(はつより)>
1月13日 京舞井上流の稽古が始められる日
<都の賑い>
6月第3土日曜 京都の五花街の芸妓・舞妓さんによる年一度の合同歌舞公演会
<祇園祭>
7月1日〜31日
<八朔>
8月1日 お世話になっている宗家、お得意先への挨拶回りをする
<祇園をどり>
11月1日から10日
京都五花街の中で、唯一、秋に芸舞妓さんによる舞踏公演が、
祇園会館にて行われる
<顔見世総見>
12月初旬
<事始め(ことはじめ)>
12月13日から正月を迎える準備が始められる
<おことうさん>
12月31日
<祇園会館>
八坂神社の北向かいにある劇場
毎年11月に、祇園をどりが開催されている
<観亀神社>
祇園東の氏神さん
2月に二ノ午祭、5月に大祭、11月にお火焚き祭が行われている
<紋章「つなぎ団子」>
みたらし団子を8つ円状に並べたデザイン
もと同じ組織だった祇園甲部と同様のデザイン
(祇園甲部は中に「甲」の字がある、祇園東は無記空白)
1851年(皇紀2511)嘉永4年
遊所御免の御沙汰があったとき、
組内八町の頭文字を円形につないだなかに「祇」の字を記した紋章ができる
1881年(皇紀2541)明治14年5月
「二つ組合」に分離したときに、団子のつなぎになる
1958年(皇紀2618)昭和33年3月
祇園東お茶屋組合となったときに、つなぎ団子だけになる