海北友松(かいほうゆうしょう)(Kaihou Yuusyou)

安土桃山時代から江戸時代初期の絵師

生年:1533年(皇紀2193)天文2年
没年:1615年(皇紀2275)慶長20年6月2日

父親:海北綱親(浅井長政の家臣)
出身:近江国坂田郡(滋賀県の湖北地域)生まれ
旧名:友徳・紹益・如切斎・有景斎

息子:海北友雪

海北派の始祖

お墓:真如堂

 海北友松(かいほうゆうしょう)は、武士から画家に転進し、豊臣秀吉や宮中からも用命を受けた絵師

【海北友松の歴史・経緯】


【海北友松の作風】

 大画面の水墨画が多く、武士を志した画家の気概が感じられるものが多い
 金碧濃彩の屏風絵などもある

 宋元画の影響を受け、鋭く力のこもった描線と省略の多い画法(減筆法)によって独自の技法を開発した

 晩年の軽妙なタッチの水墨の押絵は、宮中や禅僧の間で好評を得た

【海北友松の主な作品】

 <建仁寺本坊大方丈障壁画全50面(重要文化財)
 建仁寺の大方丈の依鉢の間「琴棋書画図」10面、檀那の間「山水図」8面、室中「竹林七賢図」16面、
書院の間「花鳥図」10面、礼の間「雲龍図」8面
 1599年(皇紀2259)慶長4年
 安国寺恵瓊が、前身の安国寺方丈を本坊方丈として移築したとき、障壁画が新調される
 1934年(皇紀2594)昭和9年
 第一室戸台風で大方丈が倒壊し、現在の大型の掛け軸に改装される
 京都国立博物館に寄託

 <琴棋書画図(重要文化財)>
 建仁寺霊洞院
 京都国立博物館に寄託

 <松竹梅図(重要文化財)>
 建仁寺禅居庵の襖全12面

 <紙本金地着色 花卉図 六曲一双(重要文化財)>
 妙心寺
 京都国立博物館に寄託

 <紙本金地着色 三酸・寒山拾得図 六曲一双(重要文化財)>
 妙心寺

 <飲中八仙図 六曲一隻(重要文化財)>
 京都国立博物館

 <雲龍図 六曲一双(重要文化財)
 北野天満宮

 <紙本墨画 放馬図屏風 六曲一双>
 松尾寺

【その他】

 <お墓>
 真如堂
 海北友松夫妻のお墓の横に、斎藤利三のお墓がある

 <宮本武蔵
 独学で絵画の技法を確立した宮本武蔵が、海北友松の絵画を手本にしたともいわれ、似ているところもある


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