大仙院(だいせんいん)は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭
大徳寺の22ある塔頭の中で、北派本庵として最も尊称重視される寺院
(南派の本庵は、龍源院)
方丈(本堂)の1棟が国宝に、書院の1棟が重要文化財に、
書院庭園が国の史跡・特別名勝に、方丈南面の庭園が国の名勝に指定されている
<方丈(本堂)(国宝)>
(附 玄関・棟札)
日本の方丈建築としては東福寺龍吟庵の方丈に次いで古い遺構
住宅建築の大きな転換時期の遺構として大変貴重なものとされ、床の間と玄関は日本最古のものとされる
大徳寺山内で最古の建物でもある
中央の室中・左右の上間・下間の3列が各2室に分かれて、合計6室あり、禅宗の方丈の最も典型的なもの
各部の木割、扉の細部、背面の棚上に一部残る如意頭文などに室町時代の特徴が残されている貴重な遺構
桁行14.8m、梁間10.8m、一重、入母屋造・銅板葺
1513年(皇紀2173)永正10年
開基 古嶽宗亘禅師が自分の隠居所として建立したもの
創建時の棟札が残っている
1575年(皇紀2235)天正3年
屋根を1.5m程あげる修理が行われる
江戸時代
3度の修理が行われているころが棟札に残っている
1916年(皇紀2576)大正5年5月24日 重要文化財に指定される
1957年(皇紀2617)昭和32年6月18日 国宝に指定される
<方丈南面の庭園(国の名勝)>
大海を表す砂庭
かぎ型の敷地に2段の刈込生垣をめぐらしただけの簡素な様式
1955年(皇紀2615)昭和30年2月3日 国の名勝に指定される
<書院(拾雲軒)(重要文化財)>
桁行9.9m、梁間7.2m、一重、入母屋造・銅板葺
1614年(皇紀2274)慶長19年の建立
1962年(皇紀2622)昭和37年6月21日 重要文化財に指定される
<書院庭園(国の史跡、特別名勝)>
東と北にわたる鉤形の狭い敷地に樹木、景石、白砂が配された室町時代の代表的な枯山水庭園
大石を立てて蓬莱山から落ちる滝口とし、滝口下には白砂を敷いて水流として、
中央下段には、渓流が大河となるさまを白砂敷の中に船形の石を配して表現されている
1509年(皇紀2169)永正6年
大仙院の創建のときに、開基 古嶽宗亘禅師による作庭される
1924年(皇紀2584)大正13年12月9日 国の名勝に指定される
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 特別名勝に指定される
<大燈国師墨蹟(国宝)>
<方丈障壁画(重要文化財)>
室町時代の作
フランス ルーブル美術館にも出展されたことがある
紙本淡彩 四季耕作図 8幅 礼の間 伝 狩野之信筆
紙本著色 花鳥図 8幅 檀那の間 狩野元信筆
紙本墨画 瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず) 6幅 室中 相阿弥の筆
紙本墨画 瀟湘八景図 16幅 室中 伝 相阿弥の筆
<牡丹孔雀文堆朱盆(重要文化財)>
<古渓忌(こけいき)>
3月17日
千利休と関わりの深かった三世 古渓宗陳を偲んで、茶室 カ亭にて薄茶の奉仕が行われる
大林宗套(だいりんそうとう)、笑嶺宗訴、春屋宗園、古渓宗陳といった名僧が住職となる
三世住職 古渓宗陳は、豊臣秀吉の怒りにふれて賀茂の河原で梟首にされた千利休の首を大仙院に持ち帰り、
手厚く葬ったといわれる
7世住職 沢庵和尚(たくあんおしょう)が、宮本武蔵に剣道の極意を教えたといわれる
また、沢庵和尚は、漬け物の「たくあん」を考案したといわれる
現在の住職 尾関宗園(おぜきそうえん)
多数の本を著し、豪快な説法が観光客に好評な名物和尚