即宗院(そくしゅういん)(SokusyuuIn)

所在地:京都市東山区本町15丁目   卍地図情報卍

臨済宗東福寺派の大本山東福寺塔頭

山号:臥雲山(がうんざん)

開基:島津氏久

開山:剛中玄柔禅師(ごうじゅうげんじゅぜんじ)(東福寺第54世)

京都市名勝:即宗院庭園

 即宗院(そくしゅういん)は、東福寺方丈の東側にある塔頭の一つ

 鎌倉時代初期に九条兼実の山荘「月輪殿」だった跡地で、庭園は京都市指定名勝となっている

 即宗院裏の採薪亭跡(さいしんていあと)は、清水寺の僧 月照と西郷隆盛とが、
大老 井伊直弼を倒すために密議を行ったところで、西郷隆盛が滞在し幕末維新の舞台となった

【即宗院の歴史・経緯】





【即宗院の伽藍】

 <山門>
 1613年(皇紀2273)慶長18年の建立
 左右に、石造りの仁王像が立っている

 <即宗院庭園(京都市名勝)>
 この地は、関白 藤原忠通(ふじはらただみち)(近衛家)が御所の東御堂として建立し、三男の藤原兼実(九条家の祖)が継ぐ
 1196年(皇紀1856)建久7年
 山と樹林に囲まれた閑静な地にあり、藤原兼実が、山荘を営み「月輪殿」と称した
 法然上人が来訪されたときに描かれた絵巻には、優美な寝殿造りの邸宅と池が描かれている

 1799年(皇紀2459)寛政11年発行
 「都林泉名勝図会」にも名園として紹介されている

 1972年(皇紀2632)昭和47年以降
 順次整備がすすめられ、月輪殿の滝跡の石組みの残存や池などが当時を偲ばせる
 池は「心」の字体が表現されている

 <採薪亭(さいしんてい)の跡>
 即宗院の裏にある
 清水寺の僧月照と西郷隆盛とが、大老 井伊直弼打倒のために密議を行ったところ
 西郷隆盛と月照は、和歌のつながりで近衛家に出入りし、尊王攘夷に対し激しい弾圧を行う大老 井伊直弼を打ち倒すための
密議を採薪亭で行い、西郷隆盛は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという
 薩摩藩藩士の有村次左衛門と水戸藩諸士17名が、江戸城外の桜田門外で井伊直弼の倒すことになる
 月照は、薩摩に渡った後で、鹿児島の錦江湾に身を投じた

 <薩摩藩士東征戦亡の碑
 即宗院の裏山にある
 鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争で戦死した薩摩藩藩士524名の氏名が刻まれている
 西郷隆盛が、半年滞在して斎戒沐浴(身を清めて)し、自ら工事を監督し、筆をとって銘文をつくり建立した

 <偃月橋(えんげつきょう)(重要文化財)>
 即宗院や龍吟庵に入る手前の橋
 京都の紅葉




【即宗院へのアクセス】

 市バス 東福寺 徒歩約10分
 京阪電車 本線 東福寺駅 徒歩約15分
 JR奈良線 東福寺駅 徒歩約15分

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