<玄武>
亀と蛇が合体した姿
脚の長い亀に蛇が巻き付いた姿や、亀の尾が蛇となっている姿で描かれる
山岳に棲むといわれる
亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴で、
「玄武は亀蛇、共に寄り添い もって牡牝となし 後につがいとなる」と、陰陽が合わさる象徴とされる
暗闇を司っており、忍びやか、盗難、多淫などの性格もあるとされる
<四神相応之地>
奈良時代
桓武天皇は、南都六宗の仏教勢力の肥大化を懸念して、都を平城京から長岡京へ遷す
その後、飢饉、河川の氾濫、疫病の流行、桓武天皇の身内にも病が続き、災難が続く
和気清麻呂は、風水・陰陽道、地勢、交通の便などを考慮して、
長岡京の北東12km程のところに位置する山背国葛野郡の地への遷都を桓武天皇に進言する
桓武天皇は、造宮大夫 藤原小黒麻呂・紀古佐美・大僧都賢憬らに命じて、山背国葛野郡の地勢を調査させる
桓武天皇は、四神相応之地であることで「吉」と出たとの報告を受けて、長岡京造都を途中放棄して遷都を決定し、
平安京を造営する
そのとき、京都盆地の北にあった船岡山が、都の北方を守護する玄武とされた
<船岡山>
京都盆地の北郊、紫野に横たわる丘陵
現在の山頂付近東側には、織田信長を祀る建勲神社がある
平安京へ遷都するときに四神相応之地を占い、都の北方を守護する玄武とされた
<護王神社>
舞殿に四神相応の図の扁額と、
舞殿内部の東西南北には青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の絵の額が掲げられている
<京都市勧業館(みやこめっせ)>
市制100周年記念モニュメント「悠久」の東西南北の面に、平安京の四神相応の守り神である青龍・白虎・朱雀・玄武が描かれている
<文房四神之碑>
江戸時代の書家 松下烏石が、筆硯紙墨の文房具を青龍・朱雀・白虎・玄武の四神になぞらえて顕彰した碑
筆硯紙墨(ひっけんしぼく)として、南方・朱雀を筆、東方・青龍は硯、西方・白虎を紙、北方・玄武は墨とされる
<長岡宮跡>
長岡宮宝幢跡(ほうどうあと):大極殿公園に、宝幢(ほうどう)を立てた3基の柱堀形が復元されている
宝幢は、古代中国伝来の儀式用旗飾りで、
長さ約9mの大柱の上に、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神の絵がはためき、鳥・日・月の華やかな飾り物が付けられる
<玄武神社>
市街地北部の紫野にあり、京都北方の守護神社とされる
本殿に玄武の石像が安置されている
境内の小池には、亀が多く放育されていたので「亀の宮」とも称される
<建勲神社>
境内社 船岡山妙見社に船岡山の地の神さん 玄武大神が祀られている
妙見は北極星を表し、北を示すシンボルであり、平安京における四神相応の玄武の象徴とされる
<圓成寺>
岩戸妙見大菩薩現出の霊夢により、北辰尊星玄武神を鎮安する霊地として創建される
高さ2mほどの石像 岩戸妙見菩薩は、大きな玄武の亀の背の上に立ち、右手に破邪の剣、左手で蛇を握って、
頭上には北斗七星がある
妙見大菩薩は、玄武神・鎮宅霊符神・尊星王とも称され、北極星と北斗七星を神格化した菩薩
<玄武町>
上京区玄武町 郵便番号 602-0893
<玄武公園>
船岡山から、東に約1.3kmほどのところにある