地図情報
縁城寺(えんじょうじ)は、丹後半島の西寄り、京丹後市の中央部にある寺院
府道663号の東側に開けた広い田野の北方に広がる低い山地のなかにある
<総門>
江戸時代中期の建立
<勅使門>
<本堂>
前面1間に虹梁三斗を掛けられている
内陣は、三方に入側を巡らせ、中央に須弥壇を設け厨子が安置されている
入口の左右には、仁王像が安置されている
1685年(皇紀2345)貞享2年 焼失
1843年(皇紀2503)天保14年 焼失
1848年(皇紀2508)嘉永元年の再建
<石造 宝篋印塔(ほうきょういんとう)1基(重要文化財)>
「一切如来心秘密全身陀羅尼」が内部に納められている
この塔を礼拝供養すると、地獄の門を閉じ重罪一時に消滅して菩提が得られ、
また現世の諸難を免れ、無量の福を得るという功徳が説かれている
1351年(皇紀2011)正平6年/観応2年の建立
「正平六年仏子行秀」の刻銘がある
開山 善無畏三蔵の供養のために建立されたもの
切石積の基壇付
総高313.9cm、基礎一辺227.6cm
1955年(皇紀2615)昭和30年2月2日 重要文化財に指定される
<多宝塔>
麻呂子親王が、鬼退治を祈願して七大寺を建立して七仏薬師を祀ったといわれる願興寺(竹野郡)にあったもの
1374年(皇紀2034)文中3年/応安7年に焼失
その後、再建された
1963年(皇紀2623)昭和38年
豪雪により、多宝塔上層部が倒壊した
<鐘楼>
<庫裡門>
<シイ林(京都の自然200選)>
<木造 千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
秘仏の本尊の千手観音菩薩
平安時代後期の作
素木一木造、内矧無し、三弁宝冠を着け頭上面は無い、木の節をそのまま残して彫刻されている
眼尻を上げた伏し目がちの目や、厚い唇の表情など平安時代前期の作風
像高152.4cm
両脇手・両足先・持ち物・光背・台座は後補とされる
鎌倉時代、網野庄の地頭 後藤兵衛実基が、源頼朝から下賜され、縁城寺の千寿院に納めたものといわれる
1941年(皇紀2601)昭和16年11月16日 重要文化財に指定される
33年に一度の御開帳の秘仏
<仁王像>
本堂の入口の左右に安置されている
清水寺の仁王像の模刻
仏師 鎌田喜内師の作
<金銅装笈(京都府指定文化財)>
修験者などが仏具や経典を背負うための箱(笈)
漆塗りの木製の箱に、4脚を附した形状
正面全面に仏像・鳥・動物・草木などの文様を蹴彫りした金銅板が貼られている
総高77.2cm・幅56.2cm・奥行27.2cm
室町時代の作
<紙本墨書縁城寺縁起(京丹後市指定文化財)>
室町時代後期の真名本と、真名本をそのまま仮名書きした仮名本の両巻がある
1426年(皇紀2086)応永33年以降の成立