地蔵院(じぞういん)は、西京区の衣笠山北東麓にある寺院
鎌倉時代、この地に、歌人で衣笠内大臣 近衛家良(藤原家良)の山荘が営まれたことから、衣笠山(きぬがささん)と称される
室町時代、一休禅師が幼少の頃を過ごしたゆかりの寺院
参道の両脇や本堂奥に孟宗竹や真竹の美しい竹林があり「竹の寺」とも称される
本尊に延命安産地蔵菩薩が祀られていることから「谷の地蔵」とも称される
紅葉の参道があり、2本の見事な山茶花の古木もある
境内一帯は、京都市の文化財環境保全地区に指定されている
<総門>
<本堂>
方3間
本尊の延命安産地蔵菩薩を中央に、夢窓疎石、碧潭周皎(宗鏡禅師)、細川頼之の木像が安置されている
1935年(皇紀2595)昭和10年
再建される
<方丈(京都市登録有形文化財)>
塔頭 延慶庵の方丈だった
東西に8畳3室、仏間(6畳)、西面に床、北面に棚・仏壇、格天井が並ぶ
正面東寄りに玄関(4畳)、西寄りに広縁、棹縁天井、内法長押がある
屋根は、切妻造段違い、桟瓦葺
玄関前に、式台がある
猪目文様(ハート型)の窓から庭園が鑑賞できる
1686年(皇紀2346)貞享3年
第14世 古霊和尚が、細川家の援助により再建する
1854年(皇紀2514)安政元年頃に、西面に仏間が増築される
1870年(皇紀2530)明治3年、仏間床廻りが修理される
1927年(皇紀2587)昭和2年、大修理が行われる
<庫裏>
<中門>
<十六羅漢の庭(京都市登録名勝)>
方丈前の枯山水庭園
開山 碧潭周皎(宗鏡禅師)の作庭
細川頼之の遺愛といわれる
さまざまな形の小ぶりの自然石が杉苔に20数個置かれ、石の一つ一つは羅漢を表し、十六羅漢の修行の姿を表わしている
石はすべて、南東(左手後方)の石清水八幡宮に向いてわずかに傾けられている
外護の細川氏が源氏とのゆかりが深く、石清水八幡宮への篤い信仰があったためといわれる
椿、胡蝶侘助の老木、五葉松、千両、万両などが植えられている
<竹林>
参道の両脇に孟宗竹の林があり、真竹も植えられている
境内には、椿、胡蝶侘助の老木が植えられている
参道は、紅葉も綺麗である
<細川頼之公碑>
<一休禅師母子像>
一休宗純が6歳で出家するまで母親と共にこの寺で過ごしたといわれる
2017年(皇紀2677)平成29年に建立された
<お墓>
本堂の南
自然石の細川頼之のお墓、「細川石」と称されている
その隣に、自然石の宗鏡禅師のお墓、細川頼之公碑が立つ
<開福稲荷大明神>
<鎮守社>
<地蔵院十境>
金剛界門、衣笠山、来鳳軒、枯木堂、観音殿
地蔵宝殿、尺竜谷、尸陀株、不動井、興雲洞
<倶会一処の石塔(くえいっしょのせきとう)>
<延命安産地蔵菩薩>
本尊、木造、寄木造、截金文様が施されてる
「谷の地蔵」と称される
伝教大師 最澄の作といわれる
右手に錫状、左手に宝珠を掲げる
<千手観音菩薩(重要文化財)>
銅製、像高27.9cm
鎌倉時代の作
細川頼之の妻の念持仏であったといわれる
<右脇侍 夢窓国師木像>
<右脇侍 宗鏡禅師木像>
<左脇侍 細川頼之木像>
<襖絵「細川ガラシャ殉節之経」>
方丈に置かれている
幸野義の奉納
<細川頼之肖像画>
<細川頼之夫人の肖像画>
<夢窓疎石の錫杖>
夢窓疎石が、西芳寺(苔寺)庭園を作庭していたとき、巨石をも運ぶ働きの良い一人の大男がいた
疎石が、感謝のために何か贈ろうとすると、大男は、自分の錫杖と、夢疎石の袈裟を取り換えて欲しいと頼む
寺男が大男の跡をつけると、四条染殿の染殿地蔵で姿を消したという
染殿地蔵の地蔵堂には、夢窓疎石の袈裟を着た地蔵が座っていたといわれる
その夢窓疎石に贈られたという錫杖が、当院に残されている