伝教大師 最澄
(でんきょうたいし さいちょう) 京都通メンバ
平安時代前期の僧

生年:767年(皇紀1427)神護景雲元年8月18日
没年:822年(皇紀1482)弘仁13年6月4日
享年:56(満54歳)

日本の天台宗の開祖

俗名:三津首広野(みつのおびとひろの)
法名:最澄
法号:福聚金剛
諡号:伝教大師(でんきょうたいし)
通称:叡山大師、根本大師

出身:近江国滋賀郡古市郷(現在の滋賀県大津市)

 最澄(さいちょう)は、平安時代前期の僧

 空海と同じ遣唐使の船で唐に渡り、天台教学などを学び、日本の天台宗を開く

 延暦寺を創立し、大乗戒壇の設立に尽くした

【経緯】

【著作】

 <「山家学生式(さんげがくしょうしき)」>
 818年(皇紀1478)弘仁9年  正式には「天台法華宗年分学生式」
 比叡山の具足戒を定め、天台宗の年分度者は比叡山において大乗戒を受けて菩薩僧となり、
12年間山中で修行することを義務付ける
 「一隅を照らすもの此れ即ち国宝なり」は、格言とされる

 <「顕戒論(けんかいろん)」>
 南都の僧綱(僧尼の管理者)から反撃に応じて執筆

 <「内証仏法血脈譜(ないしょうぶっぽうけちみやくふ)」>
 南都の僧綱に向けて自論の正統性を説く

 <「法華去惑(ほっけこわく)」>
 南都宗派を論破するために著する

 <「照権実鏡(しょうごんじっきょう)」>
 法相宗のエリート学僧 会津徳一との間で「三一権実論争」となり、「真実」と「権(方便)」を論争した
 会津徳一が、三乗真実や五性各別を説明する「仏性抄(ぶっしょうしょう)」を著して最澄を論難したため、
三乗は権説とする「照権実鏡」で反論する

 <「法華去惑」>
 <「守護国界章」>
 <「決権実論」>
 <「法華秀句(ほっけしゅうく)」>
 比叡山へ帰った後も、会津徳一との論争が続き、これらを著して反論した

 <「依憑天台宗(えひょうてんだいしゅう」)」>


【ゆかりの地】

 <延暦寺
 最澄が、比叡山で修行して草庵 薬師堂を建てて、最澄自らが彫った薬師如来像を祀ったのが由来
 最澄は、現在の根本中堂の場所に、薬師堂、文殊堂、経蔵からなる小規模な寺院を建立し、「一乗止観院」と名付ける
 桓武天皇が最澄に帰依し、京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として次第に栄えるようになった

 <安養寺
 最澄が、都を鎮守する寺院として開創したといわれる

 <毘沙門堂
 最澄が下出雲路で自ら作ったといわれる毘沙門天が秘仏の本尊として祀られている

 <長楽寺
 桓武天皇の勅命により、最澄により創建された
 最澄が、唐へ向かって海を渡るときにご加護を受けた准胝観音菩薩を、自ら刻んだ准胝観音菩薩が本尊として祀られている

 <永福寺
 二条室町の富豪 林秀が、延暦寺薬師如来の夢告により、最澄が彫った石仏の薬師如来を与えられ、
六間四面の堂を建立して祀り、「永福寺」と称したのが由来

 <法界寺
 藤原北家の藤原家宗(ふじわらいえむね)が、慈覚大師 円仁から贈られた最澄作の薬師如来像を本尊とし、
最澄を勧請開山として一族の氏寺を創建したのが由来
 最澄が作った本尊の薬師如来立像(重要文化財)は、「乳薬師」と称されて信仰されている

 <方広寺
 桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺を建立するときに、比叡山登山中のお告げにより彫刻された大黒天が祀られている

 <神護寺
 和気氏の当主であった和気弘世(和気清麻呂の長男)が、伯母に当たる和気広虫(法均尼)の三周忌を行うために、
最澄を高雄山寺に招請し法華会を行った
 空海が、神護寺の前身である高雄山寺で灌頂の儀式を行ったときの3回分の受法者の名簿「潅頂歴名」(国宝)には、
最澄・和気真網・和気仲世・美濃種人の4名の名前も記されている


 <神蔵寺
 最澄が、延暦寺を建立している当時、
西方に、紫雲たなびき朝日に映える山を見つけられ、最澄自ら、この地に来て寺院を建立し、「朝日山神蔵寺」と号して、
延暦寺根本中堂の薬師如来と同木で薬師如来像を刻み、天台宗の一大道場とした

 <地蔵院
 最澄の作といわれる延命安産の本尊の地蔵菩薩が祀られている

 <上善寺
 慈恵および最澄の作といわれる大黒天像が、大師堂に祀られている

 <十輪寺
 文徳天皇が、染殿皇后の世継ぎの子の誕生を願って、懐妊・安産祈願のため最澄作の延命地蔵を安置されたといわれる
 最澄作の等身大木製の延命地蔵菩薩座像が本尊として祀られている

 <戒光寺
 最澄の作といわれる秘仏の泉山融通弁財天が祀られている

 <観音寺
 最澄により創建されたといわれ、最澄が自ら彫ったといわれる本尊十一面観音菩薩が祀られている

 <こぬか薬師
 最澄が彫ったとされる薬師如来像を本尊として祀られている
 最澄が「一刀三礼の礼を尽くして(1つ刻むたびに3回拝んで)」彫った七尊体の一体とされる

 <鞍馬寺
 僧正ケ谷不動堂に、最澄が、一刀三礼の札を尽くして刻んだものといわれる不動明王が祀られている

 <曼殊院
 最澄が比叡山に鎮護国家の道場として一堂を建立したのが由来

 <松ヶ崎大黒天
 最澄の一刀三礼の作で、日蓮聖人が開眼したものといわれている久遠実成本師釈迦牟尼仏・大黒天が祀られている

 <妙法院
 最澄を開山として大楽大師 恵亮和尚が創建した比叡山山上にあった坊が由来

 <乙訓寺
 唐より帰国した最澄が、「真言の法」の伝授を受けるため乙訓寺を訪れ、空海とも顔を合わせたところ

 <来迎院
 最澄の得度や受戒に関わる文書類3点を一巻とした「伝教大師度縁案並僧綱牒」(国宝)を所有する(東京国立博物館に寄託)

 <六道珍皇寺
 最澄の作の木造 薬師如来坐像(重要文化財)が本尊として祀られている

 <三千院
 延暦寺を開いた最澄が、東塔南谷に草庵を開いたのが由来
 宸殿の中の間には、本尊の最澄作の秘仏 薬師瑠璃光如来像が祀られている
 柱には、最澄の言葉「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」が掲げられている

 <青龍寺
 中国 唐の徳宗皇帝より桓武天皇に献上された香木伽羅の霊木から、桓武天皇の勅命により
最澄が彫刻した聖観世音菩薩が本尊として祀られている

 <真如堂
 本堂左横の池のほとに、最澄が、東国を巡り、上野国・下野国に宝塔を建てられた時の姿をイメージされたブロンズの
伝教大師巡錫之像が立っている

 <正法寺
 最澄の開山により天台宗の寺院として創建されたといわれる

 <勝持寺
 桓武天皇の勅命で、最澄により再建され、「小塩山 大原寺(たいげんじ)」と称したといわれる

 <正覚寺
 本堂中央壇には、本尊の阿弥陀如来立像が安置され、脇壇には、最澄・法然上人の木像が安置されている

 <青蓮院
 最澄・慈覚大師 円仁・安恵・相応など、延暦寺の法灯を継いだ僧侶の住坊となり、東塔の主流だった

 <東寺
 空海の自筆の3通の手紙を巻物に仕立てた「弘法大師筆尺牘」(国宝)が所蔵されている
 1通目の最澄あての手紙の冒頭の「風信雲書」という句にちなんで、通称「風信帖」と称される
 最澄の筆で、空海が唐から持ち帰った品の目録「弘法大師請来目録」(国宝)も所蔵されている

 <善峯寺
 慈円大僧正により、最澄筆の法華経が納められる宝篋印塔がある

 <粟田神社
 最澄の自作といわれる、現存する日本最古の寄せ木造の恵美須神像が祀られている

 <吉祥院天満宮
 菅原道真とともに最澄が祀られている

 <猿田彦神社
 最澄が、座禅のための霊窟を探して歩いていたところ、猿田彦大神が現れてこの地が示めされたため、
座禅石の横に猿田彦大神を祀ったことが由来といわれる

【その他】

 <大乗仏教(だいじょうぶっきょう)>
 最澄が、腐敗した南都仏教から新しい日本独特の仏教を興した

 天台宗は円・戒・禅・密の四宗兼学である
 それぞれの隔たりは大きく、教相判釈を行い一つにまとめる事はできなかった
 かつ、大乗戒壇の設立や三一権実論争にも時間をとられ、法華経を最高経典としたが自身の教義を完成させることが
できなかったといわれる

 <智行具足(ちぎょうぐそく)>
 最澄のように、智慧を持ち修行を敢行して、両方を持ち合わすこと

 <菊の紋章>
 最澄が、桓武天皇比叡山で採取した16弁の菊を献上したことで、天皇家の紋章にされた
 このため、天台宗でも、菊の紋章の使用が許されている

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【京都検定 第1回3級】

31.(ア)延暦寺の由来となる比叡山で修行し薬師堂を建立したのは誰か?
  (解答:最澄)

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