地図情報
 上善寺(じょうぜんじ)は、下鴨神社の西、鴨川にかかる出雲橋の西、出雲路鞍馬口にある寺院
 越前藩の菩提寺とされる
 創建の地の今出川通千本にも上善寺がある
 <山門>
 「第一番六地蔵寺」の石柱が立つ
 <本堂>
 <地蔵堂>
 深泥池地蔵が安置されている
 扁額「地蔵寺」がかかげられている
 1918年(皇紀2578)大正7年に再建される
 <庭園>
 「二河白道の庭」「釈迦八相の庭」「三笑の庭」「仏教伝来の庭(二祖対面の庭)」がある
 <石仏 天道大日如来坐像>
 像高約1.6m、花崗岩製、舟形光背
 鎌倉時代中期以前の作といわれる
 <石仏群の地蔵尊>
 <墓地>
 境内の東にある
 今出川家(菊亭家)歴代のお墓、四条家、冷泉家、鷲尾家など旧華族や、越前松平家などの墓がある
 <首塚>
 1864年(皇紀2524)元治元年7月19日の蛤御門の変(禁門の変)で、新選組に討たれた8人の首塚
 越前藩士 桑山十蔵により越前藩の菩提寺である当 上善寺に葬られた
 長州藩藩士 入江九一、久留米藩士 原道太、久留米藩士 半田門吉、土佐藩の那須俊平、長門の田村育蔵、緒方弥左衛門、
讃岐高松藩士 小橋友之輔、他1名
 門前に「贈 正四位入江九一外七名首塚」の石標が立つ
 <阿弥陀如来坐像>
 本尊
 奈良時代の行基の作といわれる
 1634年(皇紀2294)寛永11年
 嵯峨今林 蓮華清浄寺から移してきたもの
 <鞍馬口地蔵>
 地蔵堂に安置される
 「姉子の地蔵」とも称される
 六地蔵めぐりの一つ、第5番
 852年(皇紀1512)仁寿2年
 小野篁が、一度死んで冥土へ行き、生身の地蔵菩薩と会って蘇った後、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から
六体の地蔵菩薩像を刻んだもの
 保元年間(1156年〜1159年)
 小幡の里に祀られていたが、深泥池のほとりに祀られ「深泥池地蔵(みぞろがいけじぞう)」と称される
 明治時代に現在の地に祀られる
 <六地蔵めぐり(地蔵盆)>
 8月22、23日
 洛外6ヶ寺の地蔵菩薩巡りが行われる
 小山郷六斎念仏(重要無形文化財)が奉納される