六斎念仏(ろくさいねんぶつ)(Rokusai Nennbutsu)

国の重要無形民俗文化財
ユネスコの無形文化遺産

 六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は、鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能

 毎月の6ヶ日の斎日(8・14・15・23・29・晦日)に念仏を唱えたことが名前の由来

 経典によると、斎日には、悪鬼が現れて人を惑わす日として、
正午からは食事を取らないで事を慎み持斎すべき「斎戒謹慎」の日とされる

 元来、六斎念仏は、この6斎日に行われていた
 現在では、お盆、精霊送り、六地蔵めぐり地蔵盆などの行事に併せて行われることが多い

【六斎念仏の経緯】


【芸能六斎】

 芸能六斎系では、太鼓、鉦、笛を使って、謡曲や長唄などから取材した曲や獅子舞、祇園囃子なども演じられる
民衆の娯楽として発展してきた

 <主な芸能六斎>
 梅津六斎念仏(梅宮大社 嵯峨天皇祭)
 小山郷六斎念仏(上善寺 六地蔵めぐり
 桂六斎念仏(地蔵寺 六地蔵めぐり
 吉祥院六斎念仏(吉祥院天満宮 夏期大祭)
 久世六斎念仏(蔵王堂光福寺 八朔祭法楽会)
 嵯峨野六斎念仏(阿弥陀寺 地蔵盆
 嵯峨野六斎念仏(松尾大社 八朔祭
 千本六斎念仏(引接寺 千本ゑんま堂 精霊送り)
 中堂寺六斎念仏(壬生寺 精霊送り)、(伏見稲荷大社 御旅所
 壬生六斎念仏(壬生寺 精霊迎え)

【念仏六斎(鉦講)】

 念仏六斎は、鉦を叩いて念仏を詠唱する、踊り念仏の流れを継ぐ本来の念仏主体の六斎念仏
 鉦が主体で、「鉦講」とも称される
 一部に太鼓が入るが動きは少なく、笛はまったく使われない

 <主な念仏六斎講>
 円覚寺六斎(円覚寺 盂蘭盆奉納)
 空也踊躍念仏六波羅蜜寺 かくれ念仏)
 上鳥羽橋上六斎念仏鉦講(浄禅寺六地蔵めぐり
 西方寺六斎念仏(西方寺 送り火法要

【空也堂系】

 紫雲山 極楽院 光勝寺(現在の空也堂極楽院)が本山

 空也堂系の六斎念仏は、最盛期には49の講があったといわれ
 現在は、十数グループが残る
 (現在は、西方寺六斎念仏保存会の以外のすべてが空也堂系)

【干菜寺系(ほしなじけい)】

 干菜寺系の六斎念仏は、最盛期には127の講があったといわれ
 現在は、西方寺のみが残る

 干菜山 齋教院 安養殿 光福寺を本山とする

 「浄土常修六齋念佛興起」によれば
 鎌倉時代
 1264年(皇紀1924)文永元年
 円爾辨円の弟子 道空が、師命により念仏門に転じて、天帝釈の感得を得て開創する

 1265年(皇紀1925)文永2年
 亀山天皇より、六斎念仏総本寺の勅願を賜わる

 1313年(皇紀1973)正和2年
 後花園天皇から、常行六斎念仏の号を賜わる

 豊臣秀吉に、月空宗心が召されて六斎念仏を行った際に、
干した菜葉を進上して窮状を示したことで、「干菜寺」と名付けられたといわれる

 その後、豊臣秀吉による手厚い保護を受けたといわれる

【その他】

 <踊り念仏>
 踊り念仏とは、飢饉や疫病に苦しむ人々を救い、念仏を分かりやすく民衆に伝えるための宗教なもの
 鎌倉時代
 一遍上人が、踊り念仏により時宗を開いた

 <棚経(勧善)>
 それぞれの六斎講が、お得意先などに出張して奉納をして回ること
 他所の六斎講とは激しく芸を競い合ったといわれる

 <一山打ち(いっさんうち)>
 全ての曲目を演ずること

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