後陽成天皇(ごようぜいてんのう)

桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇

生年:1571年(皇紀2231)元亀2年12月15日
没年:1617年(皇紀2277)元和3年8月26日
享年:47

父親:誠仁親王
第一王子
母親:新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)

諱:和仁(かずひと)、周仁(かたひと)

在位:1586年(皇紀2246)天正14年11月7日 - 1611年(皇紀2271)慶長16年3月27日

先代:正親町天皇
後代:後水尾天皇

御陵:深草北陵

 後陽成天皇(ごようぜいてんのう)は、桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇

 豊臣秀吉による聚楽第への行幸が行われたり、徳川家康を征夷大将軍に任じたりした

【後陽成天皇の経緯・歴史】

【後陽成天皇に関わる文化】

 <自著「源氏物語聞書」>
 <自著「伊勢物語愚案抄」>

 <慶長勅版>
 「日本書紀神代巻」「古文孝経」など、木製活字を作らせ印行させた

 <詠歌「後陽成院御製詠五十首」>
 <日記「慶長六年正月叙位記」>

 <「古今伝授」>
 古今和歌集」所収和歌の解釈に関する秘説「古今伝授」を伝える細川幽斎が、関ケ原の戦で丹後田辺城に籠城したため
助け出すために勅使を派遣した

【後陽成天皇のゆかりの地】

 <御陵 深草北陵
 伏見区深草坊町
 方形堂
 後深草天皇と合葬

 <日向大神宮
 後陽成天皇により、内宮・外宮の御宸筆の額を賜る


 <平野神社
 後陽成天皇の勅命で、社殿が再建されたとき、桜林も再整備された

 <出世稲荷神社
 後陽成天皇が聚楽第行幸したときに稲荷社に参拝され、立身出世を遂げた豊臣秀吉にちなんで「出世」の称号を賜る

 <豊国神社
 後陽成天皇から「正一位」の神階と、「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」の神号を賜る

 <吉田神社
 後陽成天皇の勅命により、八神殿が奉遷され、吉田兼見が鎮魂祭を行う

 <毘沙門堂
 後陽成天皇の勅命によって、徳川家康とも関係の深かった天台宗 天海大僧正によって復興が行われる

 <福勝寺
 後陽成天皇の勅願寺であった

 <護浄院
 皇居守護のために東南の地に遷座するようにとの勅命により、現在の地に移され、「常施無畏寺」の号を賜わり、
後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合祀される

 <報恩寺
 後陽成天皇より、報恩寺の完成祝賀の御消息や六字名号を賜る

 <法輪寺
 後陽成天皇から「智福山」の号を賜り、法輪寺再興の勅旨を下され諸国から浄財を募り再興が行われる

 <実相院
 和歌や故実に秀でた後陽成天皇の真筆の本「後陽成天皇宸翰 仮名文字遣」(重要文化財)を所蔵する
 連歌師 里村紹巴が校訂した本を、学識に優れた公家 三条西公条が書写し、それを後陽成天皇が書き写したもの

 <聚楽第跡
 豊臣秀吉が、平安京大内裏跡内野の地に創建した天守閣を持つ壮大な屋敷
 1588年(皇紀2248)天正16年4月14日
 豊臣秀吉により、盛大な後陽成天皇の行幸が行われ、豊臣政権の実質的な成立を天下に知らしめた


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