地図情報
豊国神社(とよくにじんじゃ)は、東山区の正面通の東端にある神社
豊臣秀吉が祀られており、「ほうこくさん」と称されて、出世開運の神様として崇敬を集めている
京都十六社朱印めぐりの一つ
<唐門(からもん)(国宝)>
伏見城の遺構といわれ、二条城から南禅寺金地院を経て、移築されたもの
大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つ
両脇の石灯篭は、豊臣秀吉恩顧の大名が寄進したもの
四脚門、前後唐破風、側面入母屋造、檜皮葺
桃山時代に伏見城に建立されたもの
1868年(皇紀2528)明治元年 現在の地に移される
1897年(皇紀2557)明治30年12月28日 重要文化財に指定される
1953年(皇紀2613)昭和28年3月31日 国宝に指定される
<貞照神社>
ねね豊臣吉子方が祀られる
<宝物館>
豊臣秀吉の遺品や、豊国神社の社宝が収蔵されている
<紙本著色豊国祭図 六曲屏一双(重要文化財)>
1606年(皇紀2266)慶長11年
狩野内膳によって、豊臣秀吉の7回忌臨時大祭の記録として作成
豊臣秀頼によって豊国神社に奉納された
1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
<黄地菊桐紋付紗綾胴服(きじきくきりもんつきさやどうふく)1領(重要文化財)>
桃山時代
胴服は、小袖のうえからはおった表着の一種
胸・背・袖後の5か所の紋所に、桐1つと菊花2つを三つ盛風に刺繍されている
襟には、黄色の華文緞子(どんす)が付けられている
大和国小泉藩主片桐貞芳の箱書き(1775年(皇紀2435)安永4年)によれば、
片桐貞隆が、豊臣秀吉から拝領し、同家に代々伝えられたもの
1883年(皇紀2543)明治16年6月
子孫の片桐貞篤によって豊国神社に奉納された
1989年(皇紀2649)平成元年6月12日 重要文化財に指定される
<桐薄蒔絵唐櫃(きりすすきまきえからびつ)1合(重要文化財)>
黒漆塗りに金蒔絵した唐櫃
桃山時代の豪華な蒔絵
縦74.0cm、横111.0cm、高さ67.0cm
京都国立博物館に寄託されている
1971年(皇紀2631)昭和46年6月22日 重要文化財に指定される
<桐鳳凰蒔絵唐櫃(きりほうおうまきえからびつ)1合(重要文化財)>
桃山時代の豪華な蒔絵
黒漆塗に金平蒔絵により、太い桐の老木と、枝にとまる鳳凰と飛翔しよとする一対の鳳凰が描かれている
縦70.5cm、横100.0cm、高さ57.5cm
1971年(皇紀2631)昭和46年6月22日 重要文化財に指定される
<桐唐草蒔絵唐櫃(きりからくさまきえからびつ)1合(重要文化財)>
桃山時代
長方形、被蓋造、六脚付の櫃
縦62.0cm、横129.0cm、高さ64.5cm
1971年(皇紀2631)昭和46年6月22日 重要文化財に指定される
<鉄燈籠(てつどうろう)1基(重要文化財)>
豊臣秀吉の釜師といわれる与二郎の作
鋳鉄製、8個に分鋳され組立され、竿には雲竜文が鋳出されている
1600年(皇紀2260)慶長5年8月18日
「奉寄進鉄燈籠慶長五庚子年八月十八日天下一釜大工与二郎實久鋳之」の鋳出銘がある
豊臣秀吉の命日に奉献された
豊国廟が廃止された後、妙法院に残され、
1875年(皇紀2535)明治8年
豊国神社の再興とともに寄進された
1973年(皇紀2633)昭和48年6月6日 重要文化財に指定される
<薙刀直シ刀(なぎなたなおしとう)無銘伝粟田口吉光(むめいでんあわたぐちよしみつ)1口(重要文化財)>
名物骨喰藤四郎(めいぶつほねばみとうしろう)
鎌倉時代
粟田口の刀工 藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の作といわれる
斬るマネをするだけで、骨まで砕いたといわれる
足利将軍家や豊臣秀吉、徳川将軍家を渡り、豊国神社へ奉納された
刃長58.8cm、元幅3.4cm、先幅2.8cm、反1.4cm
京都国立博物館に寄託されている
1950年(皇紀2610)昭和25年8月29日 重要文化財に指定される
<太閤さんのおもしろ市(骨董市)> 毎月8日
<太閤さんのおもしろ市(フリーマーケット)> 毎月18日
<豊国廟例祭>
4月18日
秀吉公廟前で斎行される
毎年、表千家、裏千家が交替での家元奉仕による献茶が行われる
<例祭>
9月18日
豊臣秀吉の命日
舞楽が奉納され、翌19日には藪内家 家元奉仕による献茶祭が行われる
<京都刀剣御朱印めぐり>
刀剣にゆかりのある4つの神社において特別な刀剣御朱印を授かることができる
開催期間は、不定期