千両ヶ辻(せんりょうがつじ)は、今出川大宮の辺りの地名
西陣の糸屋や織物商が建ち並ぶ中心地
江戸時代中期より、一日に千両に値する生糸や織物の商売が行われていたことが名称の由来といわれる
<西陣・伝統文化祭「千両ヶ辻」>
2025年(皇紀2685)令和7年9月で 第21回となる毎年秋に開催されるお祭
千両ヶ辻界隈の京町家の特別公開、繊維業店舗では織染作品や古文書などのコレクションが公開される
晴明神社の晴明祭に併せて、お神輿が巡行される
<界わい景観整備地区>
千両ヶ辻界わい景観整備地区界わい景観整備計画
2001年(皇紀2661)平成13年8月27日告示
地区の範囲等
かつて、生糸を運ぶ車が往来した今出川大宮、いわゆる千両ヶ辻を中心とし、
西陣織や関連業が密度高く立地する区域で、
北は寺之内通から南は笹屋町通まで、東は猪熊通から西は浄福寺通までの範囲の市街地
約37haにおよぶ地域
この地区の一部は、当該地区の景観を代表する町並み(町並み型)や景観上重要な交差点(町辻型)として
重要界わい景観整備地域に指定されている
さらにこの地区に存する建造物の一部が、景観形成に重要な役割を果たしている建造物として、
界わい景観建造物に指定されている
景観の特性
寺之内通小川にかかる百々橋を境に東陣(細川勝元軍)と西陣(山名宗全軍)が対戦し、
応仁の乱が起こり、以降100年におよぶ戦国時代となる
京都は、この戦乱で焦土と化し、その復興に20年を要したといわれる
西の陣があったあたりから、織物の生産が始まり、西陣織と称され、一大産地に成長した
その拠点が今出川大宮であり、千両箱が行き交うことから千両ヶ辻と称された
当該地域は、西陣織や関連業が軒を連ね、地場産業を基盤に商工混合の町並みを形成している
時代と共に、業界もビル化や今様の建築に更新されてきたが、
伝統的な家屋で生業を営むこだわり企業も多く、西陣の固有景観が維持されている
豊臣秀吉は京都を大改造したが、その一つの事業が寺之内通周辺に寺院を集め寺町を形成したことである
当該地にも本隆寺や、寺院の伽藍が望見でき、密集市街地のオアシスとなり、
また、町並み景観のアクセントとなって、散策する人の目を楽しませている
<糸屋八町>
江戸時代初期
千両ヶ辻周辺で、幕府の糸割符制度により特権を得た糸屋が立ち並んでいた8つの町
樋之口町・芝大宮町・観世町・五辻町・桜井町・元北小路町・薬師町・北之御門町
幕末維新以降
樋之口町が抜けて、横大宮町・石薬師町・元妙蓮寺町が加わる
<京だんらん西陣千両ヶ辻>
生糸屋を営んでいた築90年の京町家をリノベーションしたシェアハウス