<斎王(さいおう)>
別称:斎皇女(いつきのみこ)
伊勢神宮、賀茂社に奉仕される
斎内親王:未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)
斎女王:未婚の女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女あるいは王女)
<伊勢斎王(いせさいおう)>
伊勢神宮に巫女として奉仕した斎王
伊勢斎王の御所を「斎宮(さいぐう)」と称する
<賀茂斎王(かもさいおう)>
賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に巫女として奉仕した斎王
賀茂斎王の御所を「斎院(さいいん)」と称する
<斎王代(さいおうだい)>
現在において、葵祭などで奉仕する斎王の代理とされる女性
1956年(皇紀2616)昭和31年に復興される
2016年(皇紀2676)平成28年現在:第68代斎王代が務めた
賀茂斎王は、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の儀式に奉仕する未婚の内親王・女王
斎王は、「いつきのひめみこ」とも称され、「斎」とは「潔斎して神に仕える」ことをいう
古来、神への崇敬の念を表し、未婚の皇女が、神の御杖代(みつえしろ)として、伊勢神宮で奉仕されていた
賀茂斎王も、伊勢神宮の斎王と同様に、未婚の皇女の内親王あるいは女王から選出された
いずれも卜定(ぼくじょう)により選ばれた内親王は「斎内親王」、女王は「斎王」「斎女王」と称された
賀茂斎王制ができたあとは、伊勢斎王よりも、賀茂斎王のほうが重んじられていたといわれる
約400年間、35代の賀茂斎王が立てられた
選子内親王は、歴代の中でも最長に奉仕され、5代の天皇の御代で56年間も勤め「大斎院」と称された
<賀茂斎王の最も重要な役割>
4月第二酉の日の賀茂祭(葵祭)で、
あらかじめ御禊の後、上賀茂神社・下鴨神社の両社に出向いて祭祀を行うことであった
上賀茂神社では、本殿の右座に着座され、祭儀を執り行われる
そのときの斎王の行列は華麗で、清少納言の「枕草子」や、紫式部の「源氏物語」などで記述されている
<賀茂斎王の選定から退下>
神宮の伊勢斎王は、天皇即位のときに卜定され、
天皇が譲位・崩御されたときに退下(たいげ)し、天皇ごとに交替されていた
賀茂斎王は、数代の天皇に継続して仕えられた
卜定(ぼくじょう)
斎王の交代において、未婚の内親王または女王から候補者が選ばれ、
亀卜(亀の甲を火であぶってできたヒビの形状で判断する占い)により選ばれる
賀茂斎王が卜定されると、
上賀茂神社・下鴨神社の両社に、参議以上の者が勅使として遣わされて奉告がされる
伊勢斎王の場合は、神宮にも奉幣使が遣わされて奉告される
選ばれた内親王・女王の邸に勅使が訪れて、斎王卜定が告げられ、ただちに潔斎に入る
選ばれた斎王は、宮中に設けられた初斎院(しょさいいん)で2年間の潔斎の生活をして過ごし、
毎月、朔日(ついたち)には賀茂の大神を遥拝する
3年目の4月上旬に、賀茂斎院に移る
賀茂斎院では、仏事を行い、不浄を避ける清浄な生活を送りながら、
賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)や、斎院での祭祀に奉仕した
斎王の退下後は、ほとんどの斎王が、生涯を独身で終えた
伊勢斎王は、伊勢神宮の天照大御神に奉仕した未婚の内親王か女王をいう
神の意を受ける御杖代(みつえしろ)として奉仕されていた
約1340年間、75代の伊勢斎王が立てられた
賀茂斎王制ができたあとは、伊勢斎王よりも、賀茂斎王のほうが重んじられていたといわれる
<伊勢斎王の選定から退下>
神宮の伊勢斎王は、天皇即位のときに卜定(ぼくじょう)され、
天皇が譲位・崩御されたときに退下(たいげ)し、天皇ごとに交替されていた
斎王の交代において、未婚の内親王または女王から候補者が選ばれ、
亀卜(亀の甲を火であぶってできたヒビの形状で判断する占い)により選ばれる
伊勢斎王が卜定されると、
神宮に奉幣使が遣わされて奉告される
選ばれた内親王・女王の邸には勅使が訪れて、斎王卜定が告げられ、ただちに潔斎に入る
選ばれた斎王は、宮中に設けられた初斎院(しょさいいん)で1年間の潔斎の生活をして過ごす
旧7月、郊外の清浄な地に建てられた野宮(ののみや)に入る
旧8月、大堰川、紙屋川、有栖川、賀茂川などで祓禊を行った
930年(皇紀1590)延長8年頃
朱雀天皇の頃から、
旧9月に野宮の入り、2年から3年の精進潔斎生活を送り、
旧9月に野宮より出て大堰川で禊し、宮中に入ったように変わる
天皇との別れの儀が行われ、伊勢の斎宮へ向けて群行(ぐんこう)した
斎宮列は総勢500人ほど、5泊6日かけて近江、鈴鹿山峠を越え、伊勢の斎宮へ向かった
日常は、伊勢の斎宮で過ごし、数百人ほどの御使がいた
旧6月と旧12月の月次祭、旧9月の神嘗祭の3度、神宮に赴いた
天皇の崩御・譲位、本人・肉親などの死去などにともない退下(たいげ)になった
<野宮(ののみや)>
伊勢斎王が伊勢に赴く前に潔斎をする社(やしろ)
野宮は、一代ごとに取り壊しにされていた
洛西にあったとされ、野宮神社、西院野々宮神社、斎宮神社、斎明神社などが、野宮の旧跡地とされる
<祓禊の場>
祓禊が行われる清浄なな川
洛西の大堰川、紙屋川、有栖川、賀茂川などで祓禊が行われ、
潔斎の場も置かれていたといわれる
初代 810年〜831年 有智子内親王 嵯峨天皇皇女
2代 831年〜833年 時子内親王 仁明天皇皇女
3代 833年〜850年 高子内親王 仁明天皇皇女
4代 850年〜857年 慧子内親王 文徳天皇皇女
5代 857年〜858年 述子内親王 文徳天皇皇女
6代 859年〜876年 儀子内親王 文徳天皇皇女
7代 877年〜880年 敦子内親王 清和天皇皇女
8代 882年〜887年 穆子内親王 光孝天皇皇女 醍醐天皇女御
9代 889年〜892年 直子女王 文徳天皇皇孫 惟彦親王女
10代 893年〜902年 君子内親王 宇多天皇皇女
11代 903年〜915年 恭子内親王 醍醐天皇皇女
12代 915年〜920年 宣子内親王 醍醐天皇皇女
13代 921年〜930年 韶子内親王 醍醐天皇皇女
14代 931年〜967年 婉子内親王 醍醐天皇皇女
15代 968年〜975年 尊子内親王 冷泉天皇皇女 円融天皇女御
16代 975年〜1031年 選子内親王(大斎院) 村上天皇皇女
17代 1031年〜1036年 馨子内親王(西院皇后) 後一条天皇皇女 後三条天皇中宮
18代 1036年〜1045年 娟子内親王 後朱雀天皇皇女 源俊房室
19代 1046年〜1058年 媒子内親王(六条斎院) 後朱雀天皇皇女
20代 1058年〜1069年 正子内親王 後朱雀天皇皇女
21代 1069年〜1072年 佳子内親王 後三条天皇皇女
22代 1073年〜1073年 篤子内親王 後三条天皇皇女 堀河天皇中宮
23代 1074年〜1089年 斉子内親王 三条天皇皇孫 敦明親王女
24代 1089年〜1099年 令子内親王(二条大宮) 白河天皇皇女
25代 1099年〜1107年 禛子内親王 白河天皇皇女
26代 1108年〜1123年 官子内親王 白河天皇皇女
27代 1123年〜1126年 宗子内親王 堀河天皇皇女
28代 1127年〜1132年 統子内親王(上西門院) 鳥羽天皇皇女
29代 1132年〜1133年 禧子内親王 鳥羽天皇皇女
30代 1133年〜1159年 怡子内親王 後三条天皇皇孫 輔仁親王女
31代 1159年〜1169年 式子内親王 後白河天皇皇女
32代 1169年〜1171年 善子内親王 二条天皇皇女
33代 1171年〜1171年 頌子内親王 鳥羽天皇皇女
34代 1178年〜1181年 範子内親王(坊門院) 高倉天皇皇女
35代 1204年〜1212年 礼子内親王(嘉陽門院) 後鳥羽天皇皇女
賀茂斎王の御所を「斎院」「賀茂斎院」と称し、
伊勢斎王の御所を「斎宮」「伊勢斎宮」と称される
<賀茂斎院跡>
平安京北辺の紫野の櫟谷七野神社の境内に石碑が建てられている
別称:斎院、紫野斎院、紫野院
<野宮(ののみや)>
伊勢斎王が伊勢に赴く前に潔斎をする社(やしろ)
野宮は、一代ごとに取り壊しにされていた
洛西にあったとされ、野宮神社、西院野々宮神社、斎宮神社、斎明神社などが、野宮の旧跡地とされる
毎年4月、中の酉の日に行われていた賀茂祭(葵祭)の当日、斎王は、御所車にて斎院を出御され、
勅使や諸役の行列と、一条大路で合流して、一条大路を東行して、下鴨神社と上賀茂神社に参向する
上賀茂神社では、本殿の右座に着座され、祭儀を執り行われる
その夜は、上賀茂神社の御阿礼所(みあれしょ)前の神館(こうだて)に宿泊され、
翌日、斎院へ戻られ、斎院においては、「還立(かえりだち)の儀」が行われる
1956年(皇紀2616)昭和31年
葵祭にて、斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列が復興された
それに伴い、当時、賀茂祭の前日に賀茂川の河原で行われた身を清める「御禊(ぎょけい)」も復興し
5月初旬の吉日に斎王代・女人列御禊神事が行われる
<賀茂斎院跡>
4月下旬
葵祭に先立って、斎王代が、上賀茂神社・下鴨神社の参拝後、櫟谷七野神社に参拝する
賀茂斎院跡の碑の前で御払いをした後、神前に献茶し、玉ぐしを供える
<曲水の宴>
4月29日、11月3日
城南宮
斎王代が陪席される
<斎王代・女人列御禊神事>
5月初旬の吉日
上賀茂神社と下鴨神社の隔年交代で行われる
葵祭の前に、斎王代と、女人列に参加する約40人の女性が身を清める神事
<葵祭>
5月15日
京都御所の建礼門前から賀茂社へ、斎王代を中心とする女人列が巡幸する路頭の儀が行われ、
賀茂社の神前において、社頭の儀が行われる
斎王代は、五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)をまとい、腰輿(およよ)に乗って参列する
<烏相撲>
9月9日
上賀茂神社
斎王代が陪席される
平安時代中期
斎院は、宮中文化の中心として、歌人や貴族たちが出入りする風雅な社交場の一つとなっていた
斎王には優れた歌人もおられ、500人が仕えている官人や女官にも優れた歌人がおり、
斎院は歌壇として、たびたび歌合せも催されていた
<文化人として著名な斎王>
初代 有智子内親王:女流漢詩人
大斎院 選子内親王(のぶこないしんおう):「枕草子」「紫式部日記」に登場する
六条斎院 媒子内親王(ばいしないしんおう):多くの歌合を主催
式子内親王:新古今和歌集を代表する歌人
<賀茂斎院歴代斎王神霊社>
下鴨神社の糺の森にある末社
歴代35人の斎王が祀られている
京都通メンバページ
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