清少納言(せいしょうなごん)(Seisyou Nagon)

清少納言(せいしょうなごん)

本名:不詳

生年:966年(皇紀1626)康保3年頃
没年:1025年(皇紀1685)万寿2年頃

女流作家・歌人

父親:清原元輔(「後撰和歌集」を撰集した「梨壺の五人」の一人の歌人)

中古三十六歌仙の一人

 清少納言(せいしょうなごん)は、平安時代後期の女流作家・歌人

 一条天皇の中宮 定子に仕え、「宮廷の才女」といわれ、「枕草子」などを著した

 本名や生没年は不詳

【清少納言の歴史・経緯】


【清少納言の歌集】

 <清少納言集>
 <後拾遺和歌集>

【清少納言の著書】

 <枕草子
 ものはづくし(歌枕など)、詩歌秀句、日常の宮廷での出来事、人々の噂などが書かれている随筆
 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」で始まる
 1001年(皇紀1661)長保3年から1010年(皇紀1670)寛弘7年の間に完成したといわれる

 賀茂祭(葵祭)斎王行列の華麗さなども記述されている

【清少納言ゆかりの地】

 <車折神社
 末社 清少納言霊社に祭神として祀られている

 <白峯神宮
 「枕草子」にあげられている9つの名水の中で唯一現存する井戸「飛鳥井」がある

 <泉涌寺
 仏殿の隣に清少納言の歌碑が立つ
 清原元輔の山荘があり、清少納言が晩年に隠棲したと考えられる場所
 百人一首の歌
   「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」

 <今熊野観音寺
 父親 清原元輔の邸宅が現在の境内地の付近にあり、清少納言は、ここで生まれ育てられた

 <誓願寺
 女人往生の道場で、清少納言が、誓願寺において、髪を落として尼になり、仏門に入ったといわれる

 <清和院
 清和天皇が、染殿第に住まわれ、清少納言や紫式部も、清和院で宮仕えをしていたといわれる

 <逢坂関
 小倉百人一首の歌枕にもなっている
 第62番 「夜をこめて鳥のそら音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」

 <北菅大臣神社
 「枕草子(第20段)」で、紅梅殿について、「素晴らしい邸宅」の一つとして記されている

 <法輪寺
 「枕草子」の寺院の段において、代表的な寺院として記されており、「嵯峨の虚空蔵さん(こくぞうさん)」として親しまれる

 <船岡山
 「枕草子」231段で、「丘は船岡、片岡、鞆岡」と讃えている

【その他】

 <京都の気候
 清少納言は、京都の気候の厳しさとその良さを、枕草子の中で
「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑さ」(冬はとても寒いのがよく、夏は途方もなく暑いのがよい)と詠っている

 <名水
 「枕草子」には、9つの名水の井戸が書かれている
 飛鳥井、ほりかねの井、走り井、山の井、玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井、千貫の井
 白峯神宮の飛鳥井が唯一現存する井戸

 <時代祭
 清少納言は、平安時代婦人列に、女官の正装を身にまとい登場する

 <三船祭
 清少納言は、ヒロイン役として御座船に乗る


【京都検定 第23回3級】

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