六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は、東山区の中央部の現世と冥界の境界といわれる六道の辻周辺にたつ寺院
歓喜踊躍しつつ念仏を唱えた六斎念仏の始祖といわれる空也上人が、疫病平癒のために建立した
かつて平氏の大邸宅や鎌倉幕府の六波羅探題が置かれた、源平盛衰の史跡の地にある
境内にあった十輪院が仏師運慶一族の菩提寺であったことから、運慶・湛慶坐像なども所蔵されている
江戸時代までは大伽藍であった
明治維新の廃仏毀釈で大幅に寺域が縮小し、現在、周囲は民家に囲まれている
<本堂(重要文化財)>
1363年(皇紀2023)正平18年/貞治2年の再建
外陣を板敷きとし、蔀戸で仕切られた内陣を一段低い四半敷き土間とする天台式建築
<弁天堂>
入口正面付近にある
福寿弁財天が祀られている
都七福神めぐりの七福神の一神
<銅製 十一面観音立像>
入口右手(北側)、一願石の横に立っている
秘仏 十一面観音菩薩立像を拝観できるように寄進された
<一願石>
入口右手(北側)、十一面観音立像立の横にある
石造転法輪で、南無阿弥陀仏と唱え一回転させると、念仏6万遍の功徳があるといわれる
<平清盛のお墓>
本堂手前(左側・南側)に、阿古屋塚と並んである
江戸時代の五輪石塔が立てられている
<阿古屋塚>
阿古屋の菩提を弔うための石造宝塔
本堂手前(左側・南側)に、平清盛のお墓と並んである
鎌倉時代の建立
浄瑠璃 壇ノ浦兜軍記三段目「阿古屋の琴責め」
代官 畠山重忠は、平家の残党の悪七兵衛景清を捜すため、恋人の五条坂に住む白拍子 阿古屋を捕まえ、
彼女が景清の所在を知っていることは分かっていたが、三味線や琴を弾かせると、調べに一点の乱れがないことに感動し釈放する
<地蔵堂>
銭洗い弁財天・水子地蔵菩薩・水かけ不動尊が祀られている
<迎鐘(おむかえがね)>
地蔵堂にある
日本で最初の地下の大釣鐘といわれる
十萬億土の冥土にまで届くといわれ、盂蘭盆のときに精霊を呼び迎えるために、堂の前から紐を引っ張り撞かれる
<石碑「此附近 平氏六波羅探題址」>
1221年(皇紀1881)承久3年
承久の乱により、鎌倉幕府により、朝廷の監視のために六波羅探題が置かれた
<なで牛>
境内北奥、地蔵堂の手前にある
身体の痛いところ、調子の悪いところの部位を撫でて祈願すると平癒するといわれる
<客殿>
境内南にある
冠木門に「大聖歓喜天」の提灯が掛けられている
<宝物収蔵庫>
本堂の裏(北西の隅)にある
<六波羅浄心苑(ろくはらじょうしんえん)>
自然葬に近い樹木葬が行われ、杉苔の下、地中深く埋葬され永代供養されている
<十一面観音菩薩立像(国宝)>
<空也上人立像(重要文化財)>
<伝・平清盛坐像(重要文化財)>
<地蔵菩薩坐像(重要文化財)>
<伝・運慶坐像(重要文化財)>、<伝・湛慶坐像(重要文化財)>
<持国天立像(重要文化財)>
<増長天立像(重要文化財)>
<多聞天立像(重要文化財)>
<広目天立像(重要文化財)>
<薬師如来坐像(重要文化財)>
<地蔵菩薩立像(重要文化財)>
<弘法大師像(重要文化財)>
<閻魔大王像(重要文化財)>
<吉祥天女像(重要文化財)>
<皇服茶>
正月1〜3日の3日間に授与される
空也上人が、当時流行していた悪疫退散のため、自ら刻んだ十一面観音菩薩像を持って市中を歩き回り、
青竹を八葉の蓮片のように割り、お茶を立てて、中に小粒の梅干しと結昆布を入れて仏前に献じたお茶を病者に授け、
歓喜踊躍しつつ念仏を唱え、病魔を鎮めたのが由来
村上天皇も服されたといわれる
現在は、皇服茶として伝わり、結び昆布と小粒梅を若水でいれた煎茶に入れて飲まれる
<萬燈会(まんとうえ)>
8月8〜10・16日
空也上人以来の伝統行事
本堂内で灯芯による大文字を点じ、七難即滅・七福即正の祈願が行われ、火の要心の護符が授けられる
萬燈会によって迎えられた精霊は、8月16日の五山の送り火によって送られる)
<空也踊躍念仏(重要無形民族文化財)>
12月13〜31日
念仏六斎が奉納される
人目を忍んで続けられてきたことから「かくれ念仏」と称される
<都七福神めぐり>
弁財天堂に福寿弁財天が祀られている
日本で最も古い七福神めぐりといわれる
福をもたらすといわれる正月の参詣と、毎月7日が縁日とされる