地図情報
第二十九番札所へ
壬生寺(みぶでら)は、四条大宮の南西の壬生にある寺院
京都では珍しい律宗の別格大本山で「宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)」とも称される
鎌倉時代後期に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える
新選組ゆかりの寺
<本堂>
1811年(皇紀2471)文化8年の再建
1962年(皇紀2622)昭和37年に焼失
1967年(皇紀2627)昭和42年の再建
<書院>
<壬生寺庭園(京都市指定名勝)>
本堂の西、書院の南にある庭園
北村援琴が著した「築山庭造伝」に鳥瞰図が載せられている
その後、大火で焼失したといわれる
1811年(皇紀2471)文化8年
本堂等が再建されたときに現在のように整えられたといわれ、「築山庭造伝」の鳥瞰図と相似している
南北に長い枯池を中心とし、半周を築山で囲まれている
書院から見て右手奥には、枯滝石組みがされている
<大念仏堂(だいねんぶつどう)(狂言舞台)1棟(重要文化財)>
「狂言堂」とも称され、2階が大念仏狂言重要無形民俗文化財)の舞台となる
二階建で、本舞台、橋掛かり、その他、能舞台には見られない「飛び込み」「獣台」などの特異な構造をもつ
舞台:桁行13.9m、梁間5.9m、二階建、入母屋造、南面切妻破風付
背面下屋:桁行13.9m、梁間6.0m、片流れ、北面突出部附属
1856年(皇紀2516)安政3年の再建
1980年(皇紀2640)昭和55年1月26日 重要文化財に指定される
1983年(皇紀2643)昭和58年から2年間の解体修理が行われる
附指定:道具蔵 1棟
附指定:脇門 1棟
附指定:土塀 2棟
附指定:棟札 2枚
<水掛地蔵堂>
江戸時代中期の作の地蔵菩薩(石仏)が祀られている
水を掛けて祈ると、一つの願いが叶うといわれている
<弁天堂>
清水寺の延命院より移された本尊の辧財天(秘仏)が祀られている
子孫繁栄・金運上昇のご利益があるといわれる
1894年(皇紀2554)明治27年の再建
<阿弥陀堂>
阿弥陀如来三尊像(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が安置されている
2002年(皇紀2662)平成14年
建築家 山本良介の設計によって、最新の建築法により再建された
<夜啼き地蔵(よなきじぞう)>
阿弥陀堂の右にある地蔵菩薩(石仏)
「おせき地蔵」とも称される
病気平癒や、幼児の夜泣き止めにご利益があるといわれている
元は、塔頭中院に祀られていたもの
<一夜天神堂>
遠方親族の安全祈願、学業成就祈願
<東門(正門)>
<千体仏塔>
明治時代の京都市の区画整理のときに各地から集められた石仏の塔
室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など1000体が、ミャンマーのパゴダに模して円錐形に安置されている
1989年(皇紀2649)平成元年の建立
<鐘楼>
毎年8月9日・10日の精霊迎え鐘や、大晦日の除夜の鐘として撞かれる
1851年(皇紀2511)嘉永4年の再建
梵鐘は、1848年(皇紀2508)嘉永元年に鋳造されたもの
<三福川稲荷>
大念仏堂の西側に建つ朱色の建物
稲荷明神が祀られている
「三福川」は、「壬生川」 という地名に由来する
五穀豊穣・商売繁盛のご利益があるといわれる
<壬生塚>
阿弥陀堂の奥にある
新選組隊士11人の墓所
新選組局長 近藤勇の銅像と遺髪塔
新選組屯所で暗殺された隊士 芹沢鴨と平山五郎のお墓
勘定方 河合耆三郎のお墓
池田屋騒動で亡くなった隊士 奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら7名の合祀墓
<新選組屯所>
表門前の坊城通に、2ヶ所の屯所の跡が残る
<歴史資料室>
阿弥陀堂の地階
天皇からの拝領品や仏像、壬生狂言や新選組についての解説をパネルや写真で展示されている
薬師如来三尊像も安置されている
本尊の歯薬師如来は、京都十二薬師第四番霊場
<「ああ新撰組」の歌碑>
赤い太鼓橋を渡った壬生塚に歌手 三橋美智也の歌碑が立つ
「加茂の河原に 千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨・・・・」
壬生寺に唯一残る塔頭
古名:中之坊
本尊:十一面観世音菩薩
寛永年間(1624年〜1644年)
本良律師により創建される
1829年(皇紀2489)文政12年の再建
明治時代
律宗の修業道場であった
<十一面観世音菩薩>
鎌倉時代の作
壬生寺の再興時に、平政平の発願により新造された諸仏の内の一体
洛陽三十三所観音巡礼第二十八番札所
<御詠歌>
「しゃくじょうの おとなりひびく みぶでらに ごうりきするは このほとけなり」
<木造 地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
本堂に安置されている本尊の地蔵菩薩
本山の唐招提寺から移されたもの
平安時代の作といわれ、現存する日本最古級のもの
1929年(皇紀2589)昭和4年4月6日 重要文化財に指定される
<十一面観世音菩薩>
塔頭 中院の本尊
洛陽三十三所観音巡礼第二十八番霊場
<薬師如来三尊像>
歴史資料室に安置されている
本尊の歯薬師如来は、京都十二薬師第四番霊場
<紙本墨画淡彩 列仙図 六曲屏風 一双(重要文化財)>
長谷川等伯の60歳前後の筆
左隻の一扇が欠けている
右隻に、李鉄拐とその師 李老君、宛丘先生の一群が描かれている
左隻には、呂洞賓と師 雲房先生といわれる二神仙が描かれている
1976年(皇紀2636)昭和51年6月5日 重要文化財に指定される
<本堂障壁画>
高さ2.7m、全長約30mの、手描き友禅染の壁画6面と襖絵8面
絹地に色鮮やかな極楽と地獄が描かれている
マスキングによる白抜きの手描き友禅染めの手法に、貝殻を砕いた胡粉やプラチナ、金泥を塗るなど、独自の手法で光沢が出されている
2007年(皇紀2667)平成19年10月
友禅画家 あだち幸が、4年がかりで制作し奉納された
地獄(襖4面)
黒地に、四つ目・四つ腕の生の苦しみ、老病死が表現されている
宙みつ誓願(2.7m×3m)
オレンジの空に赤い花を持った白く輝く暁の菩薩がたたずんでいる
宙みつ祈り(2.7m×3m)
橙の背景に、紅い着物をまとい白く光る三人の菩薩が、
橙・赤・紫・白の花弁を持ち白く光る蓮の台にそれぞれ座って祈っている
明珠不滅(2.7m×3m)
橙の背景の中に植物や炎の影が浮かび、手前には蓮の花が伸び、
勢至菩薩、観音菩薩の真ん中に阿弥陀如来がおられる
明珠不生(2.7m×3m)
濃い青の背景に、白い月光菩薩・日光菩薩の間に薬師如来がおられる
銀河の使者(2.7m×3m)
宇宙を思わせる青い背景に、明星菩薩・光華菩薩・瑠璃菩薩の白い姿が描かれている
永遠の今(2.7m×3m)
深い青の背景に、植物模様の緑の光輪、青く浮かぶ惑星群に、白・薄水色・金の鳳凰が飛び、
その向こうに弥勒菩薩の白い顔が大きく描かれている
浄土幻想(襖4面)
中央の凛々しい地蔵菩薩を囲んで、子供の妖精が、ウサギや魚などの動物たちと戯れている様子
<壬生寺縁起絵巻>
<五仏錫杖(しゃくじょう)1枝(重要文化財)>
「壬生寺縁起」によると、快賢僧都が感得された本尊 地蔵菩薩の錫杖
鎌倉時代のもの
京都国立博物館に寄託されている
1912年(皇紀2572)明治45年2月8日 重要文化財に指定される
<円覚上人彫像>
<菩薩像>
<羅漢像>
<曼荼羅図>
<狂言の仮面>
室町時代から約190点が残っている
<壬生狂言の小道具>
楽器・棒・杯・槌・桶・被り物・札・弓矢など
節分の2月2〜3日と4月29日〜5月5日、10月の連休に行われる
京都三大念仏狂言の一つ
鎌倉時代後期
1300年(皇紀1960)正安2年
円覚上人が始めたものといわれる
仏教を民衆に分かりやすく説くために、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇を行ったといわれる
江戸時代になると、布教活動としてよりも大衆娯楽として発展した
仮面をつけた演者が、鉦、太鼓、笛の囃子に合わせ、無言で演じる無言劇
演目は、平家物語、御伽草子などを題材にした話など30目ある
煎餅を観客席に投げる(愛宕詣り)、紙でできた糸を観客席に投げる(土蜘蛛)、綱渡りをする(鵺)、
素焼きの皿を割る(炮烙割り)などの見せ場を持つ演目もある
地元の小学生から長老まで約40人が壬生大念仏講中を構成して伝承している
2006年(皇紀2666)平成18年
衣装3点が京友禅の伝統技法により新調される
「橋弁慶」に登場する牛若丸(源義経)のもえぎ色の着物
「本能寺」で織田信長の小姓として登場する蘭丸の紫色の着物
坊丸の紺色の着物
<修正会> 1月1日〜3日
<節分会> 2月2日〜3日
<花まつり> 4月8日
<壬生大念仏狂言> 4月25日〜5月5日の7日間
<新選組隊士等慰霊供養祭> 7月16日
<盂蘭盆> 8月9〜16日
<壬生大念仏狂言> 10月の連休
<除夜の鐘撞き> 12月31日
<新選組の本拠地>
幕末維新の時代
京都での江戸幕府のための治安維持のために活躍した新選組(当初は壬生浪士組)の本拠が、壬生村の八木邸に置かれた
兵法調練場として利用され、武芸、大砲の訓練が行われる
京都通メンバページ
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