空也上人(くうやしょうにん)は、平安時代中期の念仏僧
浄土教の布教者で、念仏を唱えて市中や、東北地方の諸国を巡り、庶民に念仏を広めたため
「阿弥陀聖(あみだひじり)」や「市聖(いちのひじり)」と称された
歓喜踊躍しつつ念仏を唱え、六斎念仏の始祖といわれる
平安時代
仏教会の権威だった天台宗は、一般庶民とは全く無縁のものだった
来生に極楽への往生を願う浄土信仰は、奈良時代から盛んで、比叡山でも信仰され、
浄土信仰と法華信仰とは明確には分かれていなかった
<朝題目夕念仏(あさだいもくゆうねんぶつ)>
天台宗では、朝の勤めで、法華経(ほっけきょう)、夕べの勤めで阿弥陀経(あみだきょう)を読誦(どくしょう)するのが勤行だった
空也は、万民救済という信念にのっとり、行者として民衆に浄土の教えを説いて諸国をまわり、民間浄土教の祖となる
道路や橋を補修したり、貧しい者や病に苦しむ者への施しを行ったといわれ、「阿弥陀聖」、「市聖」と称されるようになる
高野聖など、鎌倉時代に広まった民間浄土教行者「念仏聖(ねんぶつひじり)」の先駆となる
<六斎念仏の踊り念仏>
空也が、経典の中に見い出した釈迦の説教に感激して踊り出したといわれる
街角で、有り合せの鉢などを叩いて念仏を唱え、極楽浄土の教えを説いた
踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれる
鎌倉幕府により、念仏が弾圧され、六波羅蜜寺では人目につきにくい薄暮に屏風(びょうぶ)で隠して、
密かに行われていたため「かくれ念仏」とも称される
<六波羅蜜寺>
空也上人の自刻といわれる秘仏 十一面観音菩薩立像(国宝)が祀られている
本堂中央の厨子に安置されており、12年に1度、辰年にのみ開帳される
空也上人立像(重要文化財)がある
運慶の四男 康勝(慶派)の作
<膏薬図子>
平将門の首がさらされたところで、その後、災厄が頻発したことから、平将門一族を処刑から救ったという空也上人が
招かれて、怨霊を鎮め祀った「空也供養道場」が建立されたといわれる
<空也の鰐口と太鼓>
「空也上人絵詞伝」による故事が残る
松尾明神が人に化現して現れ、空也に、お布施として鰐口と太鼓を与え、
「末世の衆生利益のために、この太鼓を叩いて念仏を勧めなさい。念仏を唱えていれば影で守護をする」と神託して消えたという