勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)

所在地:長岡京市勝竜寺   地図情報

築城主:細川頼春
築城年:1339年(皇紀1999)延元4年/暦応2年
主な改修者:細川藤孝

城郭構造:梯郭式平城

廃城年:1649年(皇紀2309)慶安2年

別名:小竜寺城

 勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の長岡京市勝竜寺にあった平城

 細川藤孝が城主となり、嫡男 細川忠興と、明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で結婚式を挙げ、
新婚時代を過ごしたとされる


 京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置して、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝の防衛拠点

【勝龍寺城の歴史・経緯】

【勝龍寺城】

 京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置して、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝に 防衛拠点として築城される

 勝龍寺城は、安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城とされる

 1963年(皇紀2623)昭和38年に発掘調査が行われている


 <主郭>
 東西120m、南北80mの長方形
 東側、北側に幅12mの水堀がある
 東西南北の四面には土塁があった

 本丸の南側と北側には、門跡が発見されている

 西側の土塁は、高さ10m、幅5mと大規模なものだった
 南側の土塁、堀は、昭和位時代に消滅してしまっている


 <御主>
 「東山文庫記」によると1574年(皇紀2234)天正2年には、天守のような建物があった


 <石垣>
 堀のすそや櫓台に石垣が使われていた
 北門跡虎口には、自然石の野面積の石垣が残されている
 石垣に用いられた転用石の石仏や五輪塔などが多数残されている


 <瓦>
 明智光秀の坂本城(大津市)や佐々成政の小丸城(越前市)の瓦と同じ型で作られている
 織田信長が抱える瓦職人が派遣されたといわれる


 <沼田丸>
 主郭の西側にあった曲輪
 細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったといわれる

 <その他の曲輪>
  松井屋敷
  米田屋敷
  神足屋敷

 <神足神社
 主郭部分から北東に200mのところにある
 南側には、東西に土塁と空堀がある

 空堀の中央部分には土橋が架かっている
 この土橋に対して西側土塁が張り出した部分が、横矢がかかる構造となっている

【現在の勝龍寺城】

 <勝竜寺城公園
 勝龍寺城跡が公園として整備されている

 <神足公園(こうたりこうえん)>
 本丸付近
 土塁と空堀が整備保存されており、横矢掛の虎口の構造が見られる

【その他】

 <細川ガラシャ
 明智光秀の娘 お玉
 細川忠興と勝竜寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされる
 毎年11月第2日曜日に「長岡京ガラシャ祭」が行われている

【勝龍寺城へのアクセス】

 JR西日本 京都線 長岡京駅 徒歩約10分


【京都検定 第17回3級】

【京都検定 第13回2級】

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク