地図情報
粟生光明寺(あおこうみょうじ)は、長岡京市粟生にある西山浄土宗の総本山の寺院
法然上人が最初に念仏を説いた念仏発祥の地「浄土門根元地(じょうどもんこんげんち)」として信仰されている
1000本程のモミジがある紅葉の名所で、秋の夜のライトアップが行われている
善峯寺、楊谷寺とあわせ西山三山の一つ
長岡京市西山の麓の粟生広谷に、32棟の建物がある
総門から薬医門を経て庫裡玄関(くりげんかん)に通じる参道には、楓(カエデ)の老木が連なる
<御影堂(みえどう)(本堂)>
宗祖 法然上人の自作の「張子の御影」が祀られている
入母屋かわらぶき総けやき造
<観音堂>
参道を上がってすぐ右手に建つ
十一面千手観音菩薩(重要文化財)が祀られていた(現在は、京都国立博物館に寄託)
現在は、無住になっている八番霊場の粟生観音寺の十一面千手観音菩薩が安置されている
<法然上人の石棺>
御影堂の横にある
光明を発したという伝説がある
<阿弥陀堂>
<法然上人廟>
阿弥陀堂の左手奥にある
法然上人の遺骨が7日間供養され、分骨した一部が納められている
<火葬跡>
1228年(皇紀1888)安貞2年1月25日
法然上人の17回忌に遺骸を荼毘にふしたところ
<閻魔堂>
総門を入ってすぐ左手の小さなお堂
閻魔様が祀られている
閻地院の本尊だったもの
<高橋茂右衛門宅跡>
法然上人が宿を借りられた家
<鐘楼>
<手水舎>
<絹本著色 四十九化仏弥陀来迎図(しじゅうくけぶつみだらいごうず)1幅(重要文化財)>
南北朝時代の作
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<絹本著色 二河白道図(にがびゃくどうず)1幅(重要文化財)>
鎌倉時代の作
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<木造 千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
平安時代初期の十一面千手観音菩薩
像高約1.6m
恵心僧都 源信の作といわれる
西山の浄土谷の奥深くの田んぼの中から発見されたともいわれる
現在は、京都国立博物館に寄託されている
1920年(皇紀2580)大正9年4月15日 重要文化財に指定される
<阿弥陀如来像>
阿弥陀堂に安置されている
蓮生法師が弟子入りする時に背負って持ってきた、江州堅田(現在の滋賀県)の浮御堂千本仏の中尊仏だったもの
恵心僧都 源信の作
<法然上人二十五霊場第十六番 御詠歌>
「露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ」