地図情報
西方寺(さいほうじ)は、北野天満宮の東、上七軒の上七軒歌舞練場の隣にある寺院
茶道と関わりが深く「茶の寺」とも称される
<本堂>
三千家の祠が祀られている
<茶室 紫水庵>
上七軒の芸舞妓さんが、裏千家の茶の稽古をしている
<表門>
桃山時代の建立
<利休井戸>
本堂前にある
1587年(皇紀2247)天正15年
北野大茶湯のとき、千利休が用いたといわれる井戸
<利休椿>
千利休の植えという五色散椿
4月初旬より1カ月ほど、一本の木に、さまざまな色の花を付ける
<庭園>
江戸時代に作庭された枯山水庭園
苔地に飛石、自然石の石橋が架かる
築山の左手に亀頭石、立石2石の滝添石の間に低い石があり、滝水とされる
この2石が、鶴石組の羽を兼ねているといわれる
<宗淵碑>
西来寺31世 宗淵の遺衣が治められている
<本光院>
境内に、再興されている
本尊に、織田信長の念持仏という地蔵菩薩が祀られている
足利直義の妻 本光院殿(渋川貞頼の娘)が開山したといわれる
1302年(皇紀1962)正安4年
後二条天皇の皇女 㛹子内親王が、父親の菩提を弔うために建立したともいわれる
1501年(皇紀2161)文亀元年頃に焼失
織田信長が寺領の寄進、復興の援助を行う
江戸時代
西方寺の住持を兼務するようになる
1673年(皇紀2333)延宝元年に焼失
1968年(皇紀2628)昭和43年
西方寺で再興される
<阿弥陀如来>
本尊
椅子に腰かけており「腰掛如来」と称される珍しいもの
寄木造、漆箔、像高52cm、 中品中生の印を結ぶ
<絹本著色 観経曼荼羅図(かんきょうまんだらず)1幅(重要文化財)>
鎌倉時代
大和 當麻寺(たいまでら)の中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりの綴織観経曼荼羅(当麻曼荼羅)を転写したもの
1909年(皇紀2569)明治42年4月5日 重要文化財に指定される
<絹本著色 世継観世音菩薩像 1幅>
室町時代の作
<上京区真盛町(しんせいちょう)>
町名は、西方寺の開山 真盛、西方寺の山号「真盛山」にちなむ
<名物 真盛豆>
煎った丹波産黒豆に大豆粉と砂糖蜜を重ね、外側に青海苔がまぶされた緑色の球状の菓子
「衣豆」とも称される
開山 真盛が、念仏を聞きに来た信者に授与したのが由来といわれる
真盛は、尼僧 盛久・盛春に、真盛豆の製法を伝授したといわれる
北野大茶会のときに、豊臣秀吉が真盛豆を食べ「茶味に適す」と賞賛し、
細川幽斎は「苔のむす豆」と例えたといわれる
1868年(皇紀2528)慶応4年
和菓子店「金谷正廣」の初代が、真盛豆の製法を学び、銘菓として完成させた
<千日回峯行>
比叡山延暦寺の千日回峯行の京都大廻りのときに、北野天満宮を経て西方寺にも立ち寄る