後西天皇(ごさいてんのう)

江戸時代初期の第111代天皇

生年:1637年(皇紀2297)寛永14年11月16日
没年:1685年(皇紀2345)貞享2年2月22日
享年:49

後水尾天皇の第八皇子
母親:逢春門院 藤原隆子(左中将櫛笥隆致の娘) 養母:東福門院 徳川和子

諱:良仁(ながひと)
幼称:秀宮
別称:花町宮、花町殿(高松宮第二代)

即位:1654年(皇紀2314)承応3年11月28日
譲位:1663年(皇紀2323)寛文3年1月26日

先代:後光明天皇(実兄)(後水尾天皇第四皇子)
次代:霊元天皇(実弟)(後水尾天皇第19皇子)

7人の妃との間に皇子10人と皇女16人、合計26人の子供
第一皇子:長仁親王(八条宮(桂宮)4代)
第二皇子:幸仁親王(高松宮3代)
第九皇女:聖安女王(曇華院中興の祖 大成聖安尼)
第六皇子:公辨法親王(こうべんほうしんおう)(毘沙門堂第三世)(天台座主
第八皇子:尚仁親王(八条宮(桂宮)5代)
第十一皇子:良応法親王(天台座主

御陵:泉涌寺 月輪陵(つきのわのみささぎ)

 後西天皇(ごさいてんのう)は、江戸時代初期の第111代天皇

【後西天皇の歴史・経緯】

【後西天皇】

 もっぱら学問に打ち込み、和歌の才能もあり、古典への理解も深かったといわれる

 <著作>
 「水日集」など多数を残している

 <「年中行事」2冊>
 京都御所東山御文庫に所蔵されている
 藤原行成の有職故実書「新撰年中行事」の写本

 <在位中の元号>
 承応・明暦・万治・寛文

 <高松宮>
 初代 好仁親王の娘 明子女王を妻として、高松宮第二代を継承して「花町宮(はなまちのみや)(花町殿)」と号した
 3代:第二皇子 幸仁親王

 <八条宮(桂宮)
 4代:第一皇子 長仁親王
 5代:第八皇子 尚仁親王

 <従弟>
 仙台藩主3代 伊達綱宗

 <天変地異>
 伊勢神宮・大坂城・内裏などが炎上
 江戸の明歴の大火
 地方の地震、水害など
 天変地異が多発し、後西天皇の不徳のためと責められ、幕府や後水尾上皇からも譲位を求められたといわれる

【後西天皇ゆかりの地】

 <京都御苑
 凝華洞跡(ぎょうかどうあと)
 後西天皇の退位の後の仙洞御所があったところといわれる

 <北野天満宮
 中門(重要文化財)の扁額「天満宮」は、後西天皇の宸筆

 <秋葉神社
 勅額「正一位秋葉大権現」は、後西天皇の宸筆

 <毘沙門堂
 後西天皇の第六皇子 第三世 一品公辨法親王(こうべんほうしんおう)が入寺して以来、門跡寺院となる
 宸殿・勅使門は、御所にあった後西天皇の旧殿を移築したもの
 霊殿は、御所の御霊屋を後西天皇より拝領したもの

 毘沙門堂の境内入口にある小さな石橋「極楽橋」は、
 後西天皇が行幸されたとき、「橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域である」と感嘆され、命名された


 <峰定寺
 聖護院宮の道祐法親王(どうゆうほうしんのう)が、後西天皇の勅願を受けて復興する

 <曇華院
 後西天皇の第九皇女 大成聖安尼が入寺され、堂宇(殿堂)などが復興される
 貝合せ・貝桶などは、後西天皇より拝領したもの

 <福勝寺
 後陽成天皇・後西天皇の勅願寺となり、
 後西天皇が、聖観音菩薩により祈願成就され、左近桜を下賜され、「桜寺」とも称されるようになる(出水の七不思議の一つ)

 <霊鑑寺
 後西天皇皇女 普賢院宮宗栄のときに、後西天皇の院御所御殿の休憩所が書院・玄関・居間として下賜される移築される
 後奈良天皇・正親町天皇後水尾天皇・後西天皇の宸翰(しんかん)がある

 <泉涌寺
 霊明殿(れいめいでん)の正面には、後西天皇の勅額「霊明」が掲げられている

 <善行院
 妙見菩薩立像は、後西天皇が篤く信仰されたもので、国家の安泰を祈願されていた「日本唯一天拝の妙見菩薩」といわれる

 <陵(みささぎ)>
 泉涌寺にある月輪陵(つきのわのみささぎ)
 形式は石造九重塔


【京都検定 第13回2級】

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