清和天皇(せいわてんのう)

平安時代初期の第56代天皇

生年:850年(皇紀1510)嘉祥3年3月25日
崩御:881年(皇紀1541)元慶5年12月4日
宝算:32

父親:第55代文徳天皇
第四皇子
母親:女御 藤原明子(太政大臣 藤原良房の娘)

諱:惟仁(これひと)

即位:858年(皇紀1518)天安2年8月27日
退位:876年(皇紀1536)貞観18年11月29日

先代:文徳天皇(父親)
次代:陽成天皇(第一皇子)

皇后:藤原高子(二条の后)
皇子女:

別称:水尾帝、貞観帝
法諱:素真

清和源氏の祖(武家の棟梁)

陵墓:水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)

 清和天皇(せいわてんのう)は、平安時代初期の第56代天皇

 清和源氏の祖(武家の棟梁)

 外祖父 藤原良房に対して、天下の政を摂行せよとの勅を出し、人臣による摂政が始まった

 「源氏物語」の光源氏のモデルの一人ともされる
 皇后 藤原高子は、「伊勢物語」に登場する「二条の后」

【清和天皇の歴史・経緯】

【清和天皇】

 学問を好み、鷹狩などは好まなかったといわれる

 律令制度の整備や、学問の振興には積極的に関わり、治世が評価されている

 「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」が編纂される

 「続日本後紀」が編纂される

【清和天皇ゆかりの地】

 <石清水八幡宮
 清和天皇の子孫である源氏一門は八幡大神を氏神として尊崇し、全国各地に八幡大神が勧請された

 <諸羽神社
 清和天皇により社殿が造営され創建され「両羽大明神」と称される

 <藤森神社
 5月5日の藤森祭(深草祭)は、清和天皇の勅命により、藤原良房が行った「貞観の祭」が由来といわれる

 <御香宮神社
 清和天皇から「御香宮」の名称を賜わる

 <日向大神宮
 清和天皇の勅願によって、天照大御神を粟田山に勧請されて創建される
 清和天皇・後奈良天皇・後陽成天皇の勅額がある

 <神泉苑
 清和天皇により、流行していた疫病の退散のため、初めて御霊会が行われ、早良親王、井上内親王ら祭神6座が祀られる

 <下御霊神社
 神泉苑の祭神6座が下出雲寺に祀られたのが由来

 <永観堂
 清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の真言宗の寺院となる
 熊野若王子神社を創建時の鎮守社として祀ったといわれる

 <元慶寺
 清和天皇の勅願寺となり、「崋山寺」から「元慶寺」に改称される

 <法輪寺
 針供養は、清和天皇が、廃針を納めた針堂(はりどう)を建立したことが由来といわれる

 <清浄華院
 清和天皇の勅願により、慈覚大師 円仁が、天台宗真言宗・仏心・戒律の四宗兼学の禁裏内道場として、
土御門内裏(つちみかどだいり)の付近に創建される



 <御陵(みささぎ)>
 水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)
 右京区嵯峨水尾清和(水尾山腹)
 水尾山の山腹にあり、愛宕山の西南2kmの山間狭隘の地にある  形式:円丘
 所在がほぼ確かな平安時代の天皇陵の1つ
 薄葬の遺詔に従って山陵を起さず、延喜式諸陵寮には、記せられていない

 <火葬塚>
 金戒光明寺の裏山にある「経塚」と称する塚
 1926年(皇紀2586)大正15年に治定された

 「三代実録」によると
 880年(皇紀1540)元慶4年12月7日
 洛東の上粟田山で火葬され、遺骨は、かねて終焉の地と定めておられたこの地に葬り「水尾山陵」と称された

【その他】

 <清和源氏の祖>
 最初に4人の皇子 長猷・長淵・長鑒・長頼に「源」の賜姓が行われる
 次いで、貞固・貞元・貞保・貞純・貞数・貞真ら諸親王の皇子や、清和天皇の皇孫の多くが源氏となった
 その時点での清和源氏だけでも約15流ほどあったといわれる


 <惟喬親王(これたかしんのう)>
 6歳年長の異母兄
 紀名虎(きのなとら)の娘 静子の生んだ文徳天皇の皇子
 文徳天皇は、惟喬親王の即位を望まれていたといわれるが、
 太政大臣 藤原良房の娘 明子が生んだ清和天皇に負ける

 「平家物語」によると
 紀名虎と藤原良房が、相撲で勝負を決めたといわれる

 「大鏡」「江談抄」によると
 それぞれ真言僧の真雅と真済に加持祈祷させて敗れたといわれる


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