 
 地図情報
地図情報
 永観堂(えいかんどう)は、南禅寺の北にある寺院
 京都に3ヶ所あった勧学院(学問研究所)の一つで、古くから学問(論義)が盛んだったところ
 「岩垣もみじ」など約3000本のモミジが境内に広がり紅葉の名所としてライトアップも行われている
 8月は、百日紅の名所
 地形の高低差が生かされて多くの建物が建ち、それらの間は、「臥竜廊(がりゅうろう)」と称される渡り廊下で結ばれている
 <総門>
 城郭や大名屋敷などに多く見られる「高麗門」と称される形式の門
 江戸時代末期の建築
 <中門>
 1744年(皇紀2404)延享元年の建築
 城郭や大名屋敷などに多く見られる「薬医門」と称される形式の門
 <阿弥陀堂>
 御影堂より一段高い敷地に建てられ、本尊の見返り阿弥陀像(重要文化財)が安置されている
 慶長年間(1596年〜1615年)頃の建立
 堂内は、極彩色
 格天井には「百花」、両端の長方形の部分だけは白く塗った「散り蓮華」が描かれている
 <御影堂>
 宗祖法然上人を祀る総欅造の仏堂
 本尊が安置されている阿弥陀堂よりも規模が大きい
 1912年(皇紀2572)大正元年の創建
 <多宝塔>
 境内の最も高い位置に建てられている
 上部は円形、下部は方形の二重塔
 五重塔のように、屋根に伸びる心柱に九輪と水煙が付いている珍しいもの
 1928年(皇紀2588)昭和3年に篤志家の寄付で建設された
 <方丈(釈迦堂)>
 本格的な書院造
 6間からなり、それぞれ「松鳥図」や「群仙図」などの襖絵で飾られている
 永正年間(1504年〜1511年)に
 後柏原天皇によって建てられたといわれている
 <唐門>
 天皇の使いが出入りする勅使門
 釈迦堂との間に盛砂が作られており、勅使は、この盛砂を踏んで身を清めてから中に入った
 <瑞紫殿>
 火除けの阿弥陀が安置されている
 <臥龍廊>
 山の斜面に沿って、巧みに木を組み合せて作られた階段と廊下
 御影堂から、阿弥陀堂、開山堂に登っていける
 龍の体内を歩いているような感覚が得られる
 <悲田梅(ひでんばい)>
 永観律師が待ちわびて、貧しい病人に梅の木の実を施したといわれる梅の樹
 現在も、小さな実をつける
 <三鈷の松>
 御影堂の横に立つ、葉先が3つに分かれている珍しい松の古木
 「三鈷」は、「智慧」「慈悲」「真心」を表す
 この松の葉を持っていると3つの福を授かるといわれる
 <水琴窟>
 臥龍廊の登り口にある
 お水を柄杓ですくって、中央の石に静かに注ぐと、水滴が落ち、琴のような繊細で澄んだ音が奏でる
 <弁天池>
 特に楓が多く、紅葉の名所
 木立の中に与謝野晶子の歌碑がある
 <菩提樹>
 阿弥陀堂の前(石囲い)にあるシナノキ科のボダイジュ
 北面は高い石積みと石段が設けられ、本堂前面一帯は平地となっており、周囲に石柱の玉垣をかこみ保護されている
 <連理の楓(れんりのかえで)>
 本坊の西北部の土塀沿いにあるカエデ科のタカオカエデ
 地上部で幹が二幹に分かれ、うち一つが内側に回転し、他の木の枝と連なっている
 <木造 阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀)(重要文化財)>
 顔を左斜め後ろ(向かって右)に向けた珍しい姿の像
 身体も左方に少し傾けて、左足膝を軽く曲げ、左足先をわずか前に出して立つ
 像高77cm
 1082年(皇紀1742)永保2年
 永観律師が、念仏の行道(ぎょうどう)をしていたところ、
阿弥陀如来が須弥壇から下りてきて永観律師と一緒に行道を始め、
驚いた永観律師が足を止めると、阿弥陀如来が振り向いて永観に声をかけて導いたといわれる故事から、
「見返り阿弥陀」と称される
 平安時代の作
 1999年(皇紀2659)平成11年6月7日 重要文化財に指定される
 <火除けの阿弥陀>
 瑞紫殿の本尊
 開山 真紹僧都が安置した5体の仏像の一つ
 他の4体は、応仁の乱で焼失するが、
この像だけ奇跡的に焼け残ったため「火除けの阿弥陀」と称されて尊ばれた
 <絹本着色 山越阿弥陀図(やまごしあみだず)1幅(国宝)>
 鎌倉時代の仏画 来迎図
 なだらかな山々の向こうに、転法輪印を結んだ阿弥陀如来が正面を向いた上半身が描かれている
 阿弥陀如来の背後に、穏やかな海が広がっている
 観音菩薩と勢至菩薩が、蓮華に立って、白い雲に乗って山を越え、往生人を来迎しようとしている様子が描かれている
 両菩薩の前方に、四天王が左右に立ち、臨終を迎える人が極楽往生できるように見守っている
 二人の持幡童子が幡を掲げて、往生人を阿弥陀如来の方向に導こうとしている
 1957年(皇紀2617)昭和32年2月19日 国宝に指定される
 <絹本金彩 阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)1幅(重要文化財)>
 南北朝時代の作
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 釈迦十六善神像(しょくしゃかじゅうろくぜんじんぞう)1幅(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 十界図(じゅっかいず)2幅(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 当麻曼荼羅図(たいままんだらず)1幅(重要文化財)>
 1302年(皇紀1962)正安4年の作
 附指定:旧軸木 一本:正安四年五月図絵の銘がある
 1958年(皇紀2618)昭和33年2月28日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 仏涅槃図(ぶつねはんず)1幅(重要文化財)>
 南北朝時代の作
 1903年(皇紀2563)明治36年4月15日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 薬師如来像(やくしにょらいぞう)1幅(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <紙本淡彩 釈迦三尊像 1幅(重要文化財)>
 狩野元信の筆といわれる
 室町時代の作
 1898年(皇紀2558)明治31年8月1日 重要文化財に指定される
 <絹本著色 釈迦如来像 1幅・十大弟子像 2幅(重要文化財)>
 朝鮮 高麗時代の作
 1901年(皇紀2561)明治34年3月27日 重要文化財に指定される
 <紙本墨画 波涛図 12幅(重要文化財)>
 桃山時代
 長谷川等伯の筆とされる
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <紙本墨書 當麻曼荼羅縁起(たいままんだらえんぎ)1巻(重要文化財)>
 縦26.5cm、全長960.0cm
 弘長二年十一月廿日証恵の奥書がある
 1262年(皇紀1922)弘長2年11月20日の完成
 1916年(皇紀2576)大正5年5月24日 重要文化財に指定される
 <融通念仏勧進帳(ゆうづうねんぶつかんじんちょう)1巻(重要文化財)>
 金銀泥下絵料紙、巻子装、縦33.5cm、全長354.3cm
 天台声明中興の祖 良忍上人が念仏に節を付けて称え教えを説いた
 本文は「融通念仏勧進帳」に始まり「南無阿弥陀仏」の六字の称名を流布する旨が記されている
 巻末には、阿弥陀聖衆来迎図(下品上生)と良忍上人といわれる僧侶が描かれている
 1447年(皇紀2107)文安4年3月の作
 1949年(皇紀2609)昭和24年
 「後花園天皇宸翰並後崇光院御筆融通念仏勧進帳」として重要美術品に認定されている
 2001年(皇紀2661)平成13年6月22日 重要文化財に指定される
 <紙本著色 融通念仏縁起 2巻(重要文化財)>
 室町時代
 土佐光信の筆といわれる
 1900年(皇紀2560)明治33年4月7日 重要文化財に指定される
 <二十五菩薩来迎図絵扉(善導大師厨子扉)12枚(重要文化財)>
 
 南北朝時代の作
 1908年(皇紀2568)明治41年4月23日 重要文化財に指定される
 <鋳銅 金銅蓮花文磬(こんどうれんげもんけい)1面(国宝)>
 低平横長の形で、弧の曲線は珍しい形をしている
 肩間26.4cm、弦27.8cm、博10.3cm、撞座径6.7cm、重量1593.7g
 1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
 1953年(皇紀2613)昭和28年3月31日 国宝に指定される
 <初洛陽六阿弥陀めぐり>
 1月15日
 江戸時代初期
 一年の最初の六阿弥陀巡りで、「南無阿弥陀仏」を念ずれば極楽浄土するといわれる
 <洛陽六阿弥陀めぐり>
 阿弥陀如来を安置する六か寺を巡拝する
 まず、真如堂で洛陽六阿弥陀巡拝の証をもらい蓮華の朱印を受け、
永観堂・清水寺阿弥陀堂・安祥院・安養寺の順で回り、誓願寺で結願する
 毎月の功徳日に3年3ヶ月の間参拝をすれば、無病息災・家運隆盛・祈願成就など特別な功徳があるといわれる
 <抜け雀>
 小方丈の欄間に描かれた雀の絵(狩野探幽の筆といわれる)
 <悲田梅(ひでんばい)>
 永観律師が待ちわびて、貧しい病人に梅の木の実を施したといわれる梅の樹
 <臥龍廊>
 御影堂から、阿弥陀堂、開山堂に登っていく階段と廊下
 <三鈷の松>
 御影堂の横に立つ松の古木
 
 <木魚蛙>
 御影堂の裏のあたりで鳴く蛙(カエル)
 <火除けの阿弥陀>
 瑞紫殿の本尊
 <岩垣もみじ>
 御影堂の裏の岩壁地の急斜面にあるカエデ科のタカオカエデ
 鶯池(放生池)の周辺は紅葉の名所
 平安時代初期、別荘を永観堂に寄進した歌人 藤原関雄が隠居中に、
 「奥山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光みるときなくて」と詠んだことに由来して名付けられる
 <勅使門前の光る砂>
 勅使門の前には、勅使が、歩いて身を清めるための盛砂がされている
 <法然上人二十五霊場縁故本山 御詠歌>
 「南無阿弥陀 とばかり聞くぞ 身を変えぬ この世ながらの 仏なりけり」
 <哲学の道>
 銀閣寺の参道に架かる銀閣寺橋から、南へ琵琶湖疏水の支流に沿って上り、東山山麓の若王子橋までの
全長約1.6kmの散策路
 <智慧の道>
 知恩院から、法然上人御廟や、永観堂へ向かう道となる
 <わらべうた>
 「ああ真如堂(しんど) 飯(めし)黒谷(食ろうだに)
    ここらでいっぷく 永観堂(ええかんどう) お茶漬けさらさら南禅寺(何膳じ)」
 真如堂・金戒光明寺・永観堂・南禅寺が登場する
 京都通メンバページ
京都通メンバページ 写真:表示/非表示
写真:表示/非表示 写真集のページ
写真集のページ 
