革堂(行願寺)は、京都御苑の南東の角を少し下がった寺町通にある寺院
上京の町堂として親しまれ、町衆の集会の場など生活文化や自治活動の中核となる役割を果たす
(下京の町堂は六角堂)
創建時には平安京の一条油小路上ル(現在の上京区)にあり「一条革堂行願寺」とも称される
<本堂(京都市指定文化財)>
入母屋造の向拝を付けた重厚な建物
1815年(皇紀2475)文化12年の建立
行円上人が作った千手観音菩薩が安置されている
<愛染堂>
本堂の手前北側(左側)にある
愛染明王像が祀られている
<寿老人神堂>
愛染堂の奥(北側)にある
都七福神めぐりの一つ
寿老人像は桃山時代の作といわれる
豊臣秀吉が万人快楽のために祀ったといわれる
<七福神>
寿老人神堂の横に安置されている
<鎮宅霊符神堂>
境内の奥(北側)にある
<鐘楼(京都市指定文化財)>
鎮宅霊符神堂の西側にある
1804年(皇紀2464)文化元年の創建
<百体地蔵堂>
鐘楼の西隣にある
<加茂大明神五輪塔>
百体地蔵堂の左側(西側)にある
五輪塔の水輪がくり抜かれて、その中に加茂大明神が祀られている
行円上人は、加茂社の槻の木で本尊 千手観音菩薩を創ったといわれている
室町時代の作といわれる
<出世弁財天>
境内の一番奥(西北)にある
<延命地蔵菩薩・天道大日如来>
山門をくぐって左側(西側)にある
<一条革堂の石標>
山門の横に「一条かうだう」の石碑が立っている
平安京の左京の北辺の一条油小路上ルに創建されたといわれる
<行円上人ゆかりの車石>
本堂の横の植え込みに置かれている
<宝物館>
本堂の右側(南側)にある
<千手観音菩薩>
高さ八尺
行円上人が、仏像を刻む用材を探していたところ、夢に高僧が現われて加茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の傍らに
霊木があることを知らされ、早々に加茂社の槻の木を見つけ譲り受け、自ら一刀三礼して刻んだもの
<鹿皮の衣>
行円上人が着ていたという鹿皮の衣が、宝物館に保存されている
<幽霊絵馬>
若い女性の幽霊が描かれている
江戸時代
革堂に遊びに来ていた子守の娘が子供に浄土宗の御詠歌を教えているのを見た法華宗の信者が、
その娘を殺して土中に埋めたという
その娘の両親は、革堂の千手観音菩薩に願をかけて、娘の死の真相を知り、
両親は、絵馬に若い女性の幽霊を描き奉納したといわれる
現在は、宝物館に納められている
<藤袴祭>
10月初旬
絶滅危惧種の藤袴(フジバカマ)の保全育成のために行われている
革堂・下御霊神社、寺町通<に、多くの藤袴が並べられる
海を越え長距離の渡りをする絶滅危惧種の蝶 アサギマダラがやってくることがある
<都七福神めぐり>
寿老人神堂に寿老人が祀られている
日本で最も古い七福神めぐりといわれる
正月の参詣と、毎月7日が縁日とされる