地図情報
宝積寺(ほうしゃくじ)は、山城国(京都府)と河内国(大阪府)の府境にある天王山の中腹に建つ寺院
天王山は、交通や軍事的な要所であり、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と明智光秀が戦った「山崎の戦い」の舞台となったところ
聖武天皇が夢で龍神から授けられたという「打出」と「小槌」が祀られており「宝寺(たからでら)」とも称される
<本堂>
入母屋造、本瓦葺
1606年(皇紀2266)慶長11年の改築
<仁王門>
三問一戸、層、切妻造
<三重塔(さんじゅうのとう)1棟(重要文化財)>
三間三重塔婆、本瓦葺、総円柱
相輪頂(そうりんちょう)までの総高は約20m
大日如来坐像が安置されている
羽柴秀吉が、山崎の戦いに勝ったことの御礼のため、一夜にして建てたといわれている「一夜の塔」
1604年(皇紀2264)慶長9年の建立
1921年(皇紀2581)大正10年4月30日 重要文化財に指定される
<閻魔堂>
<不動堂>
<小槌宮>
大黒天が祀られている
聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている木製の打出と小槌が、金襴の袋に入って安置されている
京都六大黒天霊場第1番
<木造 十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
本尊で「橋架観音」と称される
像高181.8cm
1233年(皇紀1893)貞永2年
仏師 法印 院範と法橋 院雲の作
2体の脇侍を従う
1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される
附指定:像内納入品
・紙本墨書十一面観音造営勧進現在帳 1巻
(天福元年六月九日の奥書がある)
・紙本墨書十一面観音造立奉加帳1巻
(天福元年六月九日の奥書がある)
・紙本墨書十一面観音造営法華三十講現在帳2巻
(天福元年七月十日の奥書がある)
・紙本墨書法華三十講結縁交名 1巻
・紙本墨書結縁交名断簡 1巻
・紙本墨書念仏記 1巻
・紙本十一面観音摺仏 4840枚
(内十四枚に天福元年七月、八月の記がある)
・木片 2片
(天福元年六月廿三日大仏師法印院範、同八月法橋院雲墨書)
・砥石 4片
<脇侍 毘沙門天立像>
<脇侍 千手観音菩薩立像>
<木造 金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)2躯(重要文化財)>
阿形の密迹金剛力士と、吽形の那羅延金剛力士
寄木造、彩色
いづれも鎌倉時代の作
1942年(皇紀2602)昭和17年12月12日 重要文化財に指定される
<木造 閻魔王坐像(えんまおうざぞう)1躯(重要文化財)>
像高160.8cm
閻魔堂に安置される閻魔王と、眷属四体の5体の像は、天王山西麓の大阪府島本町にあった西観音寺のものだった
西観音寺が、明治維新の廃仏毀釈で廃寺になったため宝積寺に移された
閻魔王は、冥界において死者の生前の善悪業を裁き、地蔵菩薩の化身といわれ、人間を救ってくれる
無病息災、延命長寿、子宝祈願にもご利益がある
4躯の眷属を従えている
いづれも鎌倉時代の作
1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される
<木造 倶生神坐像 1躯(重要文化財)>
半跏像
鎌倉時代の作
1901年(皇紀2561)明治34年8月2日 重要文化財に指定される
<木造 闇黒童子坐像 1躯(重要文化財)>
半跏像
鎌倉時代の作
1901年(皇紀2561)明治34年8月2日 重要文化財に指定される
<木造 司録坐像 1躯(重要文化財)>
鎌倉時代の作
1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される
<木造 司命坐像 1躯(重要文化財)>
鎌倉時代の作
1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される
<板絵着色 神像 4面(重要文化財)>
1286年(皇紀1946)弘安9年4月25日
弘安九年四月廿五日の裏書がある
1921年(皇紀2581)大正10年8月8日 重要文化財に指定される
<大黒天>
京都六大黒天霊場第1番
<不動明王立像>
鎌倉時代の作
<行基菩薩坐像>
<弘法大師坐像>
室町時代の作
<聖徳太子立像>
江戸時代に作られた聖徳太子の像
<千手観音菩薩立像>
江戸時代の作
<梵鐘>
室町時代の作
「待宵の鐘」と称される
<木製の打出と小槌>
小槌宮に、金襴の袋に入れられて祀られている
聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている御神器
打出は、棒状で長さ約30cm、小槌は、タイコ形で直径約15cm
723年(皇紀1383)養老7年
文武天皇の第1皇子の夢枕に龍神が現れ、
小槌を出して「これで、左の掌(たなごころ)を打てば、はかりしれない果報を授かる」と言い、龍神が天へ舞い昇って行った
皇子が目をさますと、夢のお告げのとおり、枕元に小槌が置かれていた
その後、皇子は、即位することができ、故事にのっとり、恵方 乾(いぬい)(北西)の方向にあった山崎の里に奉納されたといわれる
<藤原定家の日記「明月記」>
1202年(皇紀1862)建仁2年
藤原定家が、宝積寺を訪れたことが記されている
<夏目漱石の「漱石日記」>
宝積寺について記されている
<御伽草子(おとぎぞうし)>
室町時代から江戸時代にかけて成立した物語
一寸法師が、宝積寺で修行し、鬼を退治して、打出と小槌を振ってもらい、立派な青年になったというお話