宝積寺(ほうしゃくじ)
(HousyakuJi) 京都通メンバ
所在地:乙訓郡大山崎町大山崎銭原 
   卍地図情報卍

真言宗智山派の寺院

山号:天王山(てんのうざん)(銭原山)
別記:寶積寺

本尊:十一面観音菩薩

創建:724年(皇紀1384)神亀元年

開基:行基

中興の祖:寂昭(じゃくしょう)

通称:宝寺(たからでら)、大黒天宝寺

京都六大黒天霊場第1番

重要文化財:建造物1棟(三重塔)、仏像7躯、絵画1幅

 宝積寺(ほうしゃくじ)は、山城国京都府)と河内国(大阪府)の府境にある天王山の中腹に建つ寺院

 天王山は、交通や軍事的な要所であり、羽柴秀吉(豊臣秀吉)明智光秀が戦った「山崎の戦い」の舞台となったところ

 聖武天皇が夢で龍神から授けられたという「打出」と「小槌」が祀られており「宝寺(たからでら)」とも称される

【宝積寺の歴史・経緯】

【宝積寺の伽藍】

 <本堂>
 入母屋造、本瓦葺
 1606年(皇紀2266)慶長11年の改築

 <仁王門>
 三問一戸、層、切妻造

 <三重塔(さんじゅうのとう)1棟(重要文化財)>
 三間三重塔婆、本瓦葺、総円柱
 相輪頂(そうりんちょう)までの総高は約20m
 大日如来坐像が安置されている
 羽柴秀吉が、山崎の戦いに勝ったことの御礼のため、一夜にして建てたといわれている「一夜の塔」
 1604年(皇紀2264)慶長9年の建立
 1921年(皇紀2581)大正10年4月30日 重要文化財に指定される

 <閻魔堂>
 <不動堂>

 <小槌宮>
 大黒天が祀られている
 聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている木製の打出と小槌が、金襴の袋に入って安置されている
 京都六大黒天霊場第1番

【宝積寺の寺宝】

 <木造 十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
 本尊で「橋架観音」と称される
 像高181.8cm
 1233年(皇紀1893)貞永2年
 仏師 法印 院範と法橋 院雲の作
 2体の脇侍を従う
 1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される

 附指定:像内納入品
 ・紙本墨書十一面観音造営勧進現在帳 1巻
   (天福元年六月九日の奥書がある)
 ・紙本墨書十一面観音造立奉加帳1巻
   (天福元年六月九日の奥書がある)
 ・紙本墨書十一面観音造営法華三十講現在帳2巻
   (天福元年七月十日の奥書がある)
 ・紙本墨書法華三十講結縁交名 1巻
 ・紙本墨書結縁交名断簡 1巻
 ・紙本墨書念仏記 1巻
 ・紙本十一面観音摺仏 4840枚
   (内十四枚に天福元年七月、八月の記がある)
 ・木片 2片
   (天福元年六月廿三日大仏師法印院範、同八月法橋院雲墨書)
 ・砥石 4片

 <脇侍 毘沙門天立像
 <脇侍 千手観音菩薩立像


 <木造 金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)2躯(重要文化財)>
 阿形の密迹金剛力士と、吽形の那羅延金剛力士
 寄木造、彩色
 いづれも鎌倉時代の作
 1942年(皇紀2602)昭和17年12月12日 重要文化財に指定される

 <木造 閻魔王坐像(えんまおうざぞう)1躯(重要文化財)>
 像高160.8cm
 閻魔堂に安置される閻魔王と、眷属四体の5体の像は、天王山西麓の大阪府島本町にあった西観音寺のものだった
 西観音寺が、明治維新廃仏毀釈で廃寺になったため宝積寺に移された
 閻魔王は、冥界において死者の生前の善悪業を裁き、地蔵菩薩の化身といわれ、人間を救ってくれる
 無病息災、延命長寿、子宝祈願にもご利益がある
 4躯の眷属を従えている
 いづれも鎌倉時代の作
 1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される

 <木造 倶生神坐像 1躯(重要文化財)>
 半跏像
 鎌倉時代の作
 1901年(皇紀2561)明治34年8月2日 重要文化財に指定される

 <木造 闇黒童子坐像 1躯(重要文化財)>
 半跏像
 鎌倉時代の作
 1901年(皇紀2561)明治34年8月2日 重要文化財に指定される

 <木造 司録坐像 1躯(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される

 <木造 司命坐像 1躯(重要文化財)>
 鎌倉時代の作
 1939年(皇紀2599)昭和14年9月8日 重要文化財に指定される


 <板絵着色 神像 4面(重要文化財)>
 1286年(皇紀1946)弘安9年4月25日
 弘安九年四月廿五日の裏書がある
 1921年(皇紀2581)大正10年8月8日 重要文化財に指定される

 <大黒天
 京都六大黒天霊場第1番

 <不動明王立像>
 鎌倉時代の作

 <行基菩薩坐像>

 <弘法大師坐像>
 室町時代の作

 <聖徳太子立像>
 江戸時代に作られた聖徳太子の像

 <千手観音菩薩立像
 江戸時代の作

 <梵鐘>
 室町時代の作
 「待宵の鐘」と称される

 <木製の打出と小槌>
 小槌宮に、金襴の袋に入れられて祀られている
 聖武天皇が、夢枕に龍神より授かったものといわれている御神器
 打出は、棒状で長さ約30cm、小槌は、タイコ形で直径約15cm
 723年(皇紀1383)養老7年
 文武天皇の第1皇子の夢枕に龍神が現れ、
 小槌を出して「これで、左の掌(たなごころ)を打てば、はかりしれない果報を授かる」と言い、龍神が天へ舞い昇って行った
 皇子が目をさますと、夢のお告げのとおり、枕元に小槌が置かれていた
 その後、皇子は、即位することができ、故事にのっとり、恵方 乾(いぬい)(北西)の方向にあった山崎の里に奉納されたといわれる

【その他】

 <藤原定家の日記「明月記」>
 1202年(皇紀1862)建仁2年
 藤原定家が、宝積寺を訪れたことが記されている

 <夏目漱石の「漱石日記」>
 宝積寺について記されている

 <御伽草子(おとぎぞうし)>
 室町時代から江戸時代にかけて成立した物語
 一寸法師が、宝積寺で修行し、鬼を退治して、打出と小槌を振ってもらい、立派な青年になったというお話

【宝積寺へのアクセス】

 JR京都線 山崎駅 徒歩約10分
 阪急京都線 大山崎駅 徒歩約15分

LINEで送る

【京都検定 第13回2級】

【京都検定 第23回2級】

[インデックス]


京都通メンバページ


フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク