上徳寺(じょうとくじ)は、平安時代、源融が邸宅 六条河原院で塩焼をし、
貴族たちが詩歌や管弦を楽しんだ河原院跡の地に立つ寺院
世継地蔵に祈願すると良い世継が授かるといわれ、子授け祈願・安産祈願のご利益があるといわれている
<石像 世継地蔵(よつぎじぞう)>
地蔵堂に安置されている
高さ約2mの石像
江戸時代初期
1657年(皇紀2317)明暦3年
上徳寺の信者であった八幡の清水氏が子供を亡くし、世継の子に恵まれるよう祈願しお堂にこもり、
7日目の夜、等身大の地蔵菩薩が現れて「我を石に刻み祈願しなさい」と告げられる
清水氏は、その地蔵菩薩を石に刻んで祈願すると、世継ぎの子を授かった故事に由来し、
その地蔵菩薩が「世継地蔵」と称されるようになったといわれる
享保年間(1716年〜1735年)
当時の住職が、「我は子がない者に子を授け、子孫相続し家運長久ならしめん」と夢告を受けたといわれる
1852年(皇紀2512)嘉永5年
孝明天皇の中山慶子内親王は、世継地蔵を篤く信仰し、明治天皇を出産したといわれる
<木造 阿弥陀如来立像(重要文化財)>
本堂に、脇侍 木造 観音菩薩立像・木造 勢至菩薩立像とともに安置されている本尊
像高97.3cm(三尺阿弥陀)、針葉樹材の寄木造
像内の腹部あたりに経巻状の納入品が納められている
頭部の螺髪(らほつ)一つ一つが、金属製の釘で留められている
唇に朱がほどこされ、水晶が嵌められている「玉唇」は、全国でも佛性寺と2例のみ
来迎印を結ぶ左右の手の上げ下ろしが、通常の阿弥陀如来立像とは逆さになっている
1603年(皇紀2263)慶長8年
徳川家康により、近江国矢橋(やばせ)の鞭崎八幡宮(むちざきはちまんぐう)から招来されたもの
仏師 快慶の作といわれる
2023年(皇紀2683)令和5年6月27日 重要文化財に指定される
<世継地蔵尊大祭>
2月8日
世継地蔵は、江戸時代の初期から「京都の世継ぎさん」として信仰され安産や子孫繁栄などが祈願される
立春の後の2月8日に参拝すると、特にご利益があるとされる
十種福祈願や護摩供も行われる