高山寺(こうざんじ)
(KouzanJi) 京都通メンバ
所在地:京都市右京区四条通西大路東北角西院高山寺町  
   卍地図情報卍

浄土宗の寺院

山号:日照山

本尊:子安地蔵尊

創始:1347年(皇紀2007)正平2年/貞和3年

開基:足利尊氏

開山:善西

旧称:高西寺(こうさいじ)
通称:西院の河原(さいいんのかわら)、賽の河原(さいのかわら)

洛陽六地蔵の一つ
ご利益:子ども守護、子宝祈願、疾病平癒

 高山寺(こうざんじ)は、阪急電車 西院駅付近、西大路四条の北東角にある寺院

 平安時代初期には、この地に淳和天皇の離宮があり、門前に「淳和院跡」の石標が立つ

 足利尊氏が、近江国堅田の地蔵尊に帰依し、この地に寺院を建立して遷したのが由来

 足利義政の夫人 日野富子は、地蔵尊に祈願し、嫡子 足利義尚を産む

【高山寺の歴史・経緯】




【高山寺の伽藍】

 <本堂>
 本尊 子安地蔵尊十一面観音菩薩が祀られている
 子宝祈願、子ども守護、疾病平癒のご利益があるといわれる
 御詠歌の扁額がかけられている
  「くろだにを はやたちいでて こうざんじ さいのかわらを まもるみほとけ」

 <石仏 なでぼとけ>
 本堂前に置かれている

 <鐘楼>
 山門を入った横にある

 <石仏地蔵尊>
 本堂の前に立っている
 像高約3m
 左手に宝珠を載せ、光背(輪光)がある
 江戸時代の作
 石仏地蔵群を供養するために金戒光明寺より遷されたといわれる

 <石仏地蔵群>
 境内の東側に、豊臣秀吉が築造した御土居があった
 1900年(皇紀2560)明治33年 掘削され、
 1945年(皇紀2605)昭和20年頃 柏野小学校増築のときに掘削され、
 そのときに出土したといわれる石仏

 <水子地蔵・宝篋印塔>
 境内の南東にある
 西院は「西(さい)」とも称されたことから、水子供養の民間信仰「賽の河原(さいのかわら)」にあたると信じられた
 この付近にあった佐比川の広い河原が賽の河原とされた
 早世した子どもが、三途の川を渡ると賽の河原があり、河原で両親らの無事を祈り石の塔を積み上げるといわれる
 そこに鬼が現れ、積み上げられた石塔を壊し、子供は何度も石を積み直す
 そのような子供と親を救ってくれるのが水子地蔵といわれる

 <石板 水子地蔵御和讃>
 水子地蔵の横にある
 「産みなす父母のまよいより 水子のうちにこの世去り 母の乳房をさがしつつ
ひとり闇路(やみじ)の幼霊(おさねご)や 哀れ愛しと抱きたもう 大慈大悲の地蔵尊 あみだ如来のすがたかえ
育て導く最尊(ほとけ)なり 母子(おやこ)の尊き(とうとき)きづなおば 絶ちし罪咎赦され(とがゆるされ)と
香水(かおり)そそぎて念佛を 称うる心願(こころ)に感応らる(こたえらる)」

 <風災慰霊塔>
 1934年(皇紀2594)昭和9年9月21日午前中
 室戸台風で京都市淳和尋常高等小学校の校舎が倒壊し、児童32人と教師1人が犠牲になった
 1935年(皇紀2595)昭和10年9月21日
 1周忌にあたり、西院学区有志により境内に「風災慰霊塔」が立てられ、除幕式・追悼法要が行われた
 淳和小学校では、9月21日を「学校風災記念日」と定め防災行事が行われている

 <墓地>
 境内の東にある
 幕末維新からの俳人 中川四明のお墓がある

 <石碑「淳和院跡」>
 山門の左に立てられている



【高山寺の寺宝】

 <木造 子安地蔵尊
 本尊
 平安時代恵心僧都 源信の作といわれる
 高さ70cm
 近江堅田にあったものを、足利尊氏が帰依して、この地に寺院を建立して遷されたもの
 足利義政の夫人 日野富子が、地蔵尊に祈願し、嫡子 足利義尚を産んだことから
子授地蔵として広く知られるようになったといわれる

【その他】

 <高山寺御詠歌>
 本堂に御詠歌の扁額がかけられている
  「くろだにを はやたちいでて こうざんじ さいのかわらを まもるみほとけ」

【高山寺へのアクセス】

 市バス 四条御前通 徒歩数分
 嵐電 西院駅 徒歩約8分
 阪急電車 西院駅 徒歩約8分

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