地図情報
高山寺(こうざんじ)は、阪急電車 西院駅付近、西大路四条の北東角にある寺院
平安時代初期には、この地に淳和天皇の離宮があり、門前に「淳和院跡」の石標が立つ
足利尊氏が、近江国堅田の地蔵尊に帰依し、この地に寺院を建立して遷したのが由来
足利義政の夫人 日野富子は、地蔵尊に祈願し、嫡子 足利義尚を産む
<本堂>
本尊 子安地蔵尊と十一面観音菩薩が祀られている
子宝祈願、子ども守護、疾病平癒のご利益があるといわれる
御詠歌の扁額がかけられている
「くろだにを はやたちいでて こうざんじ さいのかわらを まもるみほとけ」
<石仏 なでぼとけ>
本堂前に置かれている
<鐘楼>
山門を入った横にある
<石仏地蔵尊>
本堂の前に立っている
像高約3m
左手に宝珠を載せ、光背(輪光)がある
江戸時代の作
石仏地蔵群を供養するために金戒光明寺より遷されたといわれる
<石仏地蔵群>
境内の東側に、豊臣秀吉が築造した御土居があった
1900年(皇紀2560)明治33年 掘削され、
1945年(皇紀2605)昭和20年頃 柏野小学校増築のときに掘削され、
そのときに出土したといわれる石仏
<水子地蔵・宝篋印塔>
境内の南東にある
西院は「西(さい)」とも称されたことから、水子供養の民間信仰「賽の河原(さいのかわら)」にあたると信じられた
この付近にあった佐比川の広い河原が賽の河原とされた
早世した子どもが、三途の川を渡ると賽の河原があり、河原で両親らの無事を祈り石の塔を積み上げるといわれる
そこに鬼が現れ、積み上げられた石塔を壊し、子供は何度も石を積み直す
そのような子供と親を救ってくれるのが水子地蔵といわれる
<石板 水子地蔵御和讃>
水子地蔵の横にある
「産みなす父母のまよいより 水子のうちにこの世去り 母の乳房をさがしつつ
ひとり闇路(やみじ)の幼霊(おさねご)や 哀れ愛しと抱きたもう 大慈大悲の地蔵尊 あみだ如来のすがたかえ
育て導く最尊(ほとけ)なり 母子(おやこ)の尊き(とうとき)きづなおば 絶ちし罪咎赦され(とがゆるされ)と
香水(かおり)そそぎて念佛を 称うる心願(こころ)に感応らる(こたえらる)」
<風災慰霊塔>
1934年(皇紀2594)昭和9年9月21日午前中
室戸台風で京都市淳和尋常高等小学校の校舎が倒壊し、児童32人と教師1人が犠牲になった
1935年(皇紀2595)昭和10年9月21日
1周忌にあたり、西院学区有志により境内に「風災慰霊塔」が立てられ、除幕式・追悼法要が行われた
淳和小学校では、9月21日を「学校風災記念日」と定め防災行事が行われている
<墓地>
境内の東にある
幕末維新からの俳人 中川四明のお墓がある
<石碑「淳和院跡」>
山門の左に立てられている
<木造 子安地蔵尊>
本尊
平安時代の恵心僧都 源信の作といわれる
高さ70cm
近江堅田にあったものを、足利尊氏が帰依して、この地に寺院を建立して遷されたもの
足利義政の夫人 日野富子が、地蔵尊に祈願し、嫡子 足利義尚を産んだことから
子授地蔵として広く知られるようになったといわれる
<高山寺御詠歌>
本堂に御詠歌の扁額がかけられている
「くろだにを はやたちいでて こうざんじ さいのかわらを まもるみほとけ」