 
 地図情報
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 龍源院(りょうげんいん)は、紫野にある大本山大徳寺の南東部にある塔頭
 一番古い塔頭で、南派の本庵とされる(北派の本庵は、大仙院)
 方丈・唐門・表門は、創建当初の建物で、大徳寺山内最古の建物で、禅宗方丈の典型的な形式となっている
 庭園は、方丈を中心として、南庭・北庭・東の壷石庭、開祖堂前庭、庫裡の南軒先の石庭がある
 <本堂(方丈)1棟(重要文化財)>
 1517年(皇紀2177)永正14年頃の建立
 桁行14.8m、梁間11.8m、一重、入母屋造、檜皮葺
 室町時代末期の禅宗方丈様式として貴重な建物
 龍図の襖絵で飾られている
 1961年(皇紀2621)昭和36年6月7日 重要文化財に指定される
 附指定:棟札 2枚
 附指定:棟札 3枚
 <玄関 1棟(重要文化財附指定)>
 方丈とつながる玄関
 切妻造、桧皮葺
 方丈と同時代に建立される
 <表門(おもてもん)1棟(重要文化財)>
 四脚門、切妻造、桧皮葺
 1517年(皇紀2177)永正14年頃の建立
 1961年(皇紀2621)昭和36年6月7日 重要文化財に指定される
 <開祖堂>
 開祖 東渓禅師の塔所
 一重入母屋造・檜皮葺
 南北朝時代、鎌倉時代、室町時代初期時代の唐様式を取り入れた昭和時代の建築
 <禅庭 一枝坦(いっしたん)>
 方丈南庭
 東渓禅師が、師の実伝和尚から賜った室号「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」から名付けられる
 白砂で大海を表している蓬莱式庭園
 向かって左側から丸くかたどった苔の中に石が立っている亀島、大きな石組の蓬莱山、
一番奥の石組で鶴島が表されている
 <禅庭 龍吟庭(りょうぎんてい)>
 方丈北庭
 青苔の中に28個の石庭が置かれた、東西に細長い平庭の須弥山式枯山水庭園
 室町時代の相阿弥の作庭といわれる
 大海を表わす杉苔の中に、中央の三尊石の石組で須弥山(しゅみせん)を表わされている
 中央は、東に向けて強く傾斜した立石
 その手前に「遥拝石(ようはいせき)」と称される水分石(みずわけいし)があり、
「枯滝石組(かれたきいしぐみ)」といわれる
 <こ沱庭(こだてい)>
 書院の南軒先の庭「阿吽の石庭」
 横長の白砂の庭で、東と西の端にそれぞれ「阿の石」「吽の石」が置かれている
 この世は、常に相対極する2つの要素が調和しながら流れて行くという教えを表している
 宗祖 臨済禅師が住んでいた中国 鎮州城の南を流れる「こ沱河」から名付けられた
 2つの「阿吽の石」は、聚楽第の基礎石である遺構といわれる
 <禅庭 東滴壺(とうてきこ)>
 方丈東庭
 方丈と庫裏との間にあり、両側を廊下で挟まれた壺石庭(つぼせきてい)
 一滴の波紋が集まり、大海原へ広がっていく(悟りにつながっていく)ことを表している
 白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて置かれており、
 2ヶ所から小さな波紋が広がっているように作られている
 広さは2坪ほどで、日本で最も小さい石庭といわれる
 1960年(皇紀2620)昭和35年の作庭
 <開祖堂前庭>
 方丈西側にある
 元大宮御所にあった桃山型石灯籠がある
 <茶室 参雨軒(さんうけん)>
 8畳、6畳、8畳がある
 <木造釈迦如来坐像(重要文化財)>
 胎内に残された墨書に「建長二年行心作」の銘がある
 1250年(皇紀1910)建長2年の作
 京都八釈迦の一つ
 <列仙の図>
 方丈の襖絵
 室町時代の等春の作
 <猿猴図>
 2幅一対の掛幅
 長谷川等伯が描いたものといわれる
 <達磨図>
 中国禅宗の祖 達磨禅師
 狩野探幽の作
 <種子島銃>
 「天正十一年」の銘
 1583年(皇紀2243)天正11年
 日本最古の種子島銃といわれる
 <四方蒔絵碁盤・碁筒>
 豊臣秀吉と徳川家康とが対局したといわれる四方蒔絵の碁盤