酬恩庵(しゅうおんあん)(SyuuonAn)

所在地:京田辺市薪里ノ内   卍地図情報卍

臨済宗大徳寺派の寺院

山号:霊瑞山

本尊:釈迦如来

開山:大応国師 南浦紹明(なんぽじょうみょう)

中興の祖:一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

通称:薪(たきぎ)の一休寺(いっきゅうじ)、一休寺(いっきゅうでら)

 酬恩庵(しゅうおんあん)は、京田辺市の甘南備山(かんなびやま)の麓の薪(たきぎ)にある臨済宗の寺院

 荒廃していたところを一休宗純和尚により再興され、晩年の25年間を過ごされ「一休寺(いっきゅうじ)」とも称される

 国の名勝にもなっている枯山水の石庭「十六羅漢の庭」や「一休寺納豆」も有名

【酬恩庵の歴史・経緯】




【酬恩庵の伽藍】

 境内は紅葉の名所

 <本堂(法堂)(重要文化財)
 室町時代の典型的な禅宗様仏殿
 入母屋造、檜皮葺
 桟唐戸、花頭窓、波連子、礎盤に粽附円柱、柱上と中備に三手先の組物、軒裏に二重の扇垂木、
内部に大瓶束の妻飾などがある
 内陣は鏡天井、外陣は化粧屋根裏、海老虹梁、雲形の繰形構造材になっている
 永享年間(1429年〜1441年)、室町幕府第6代将軍 足利義教教により建立された

 <方丈(重要文化財)>
 扁額「酬恩庵」がかかる
 礼の間、衣鉢の間、書院の間、檀那の間、仏間などがある
 1650年(皇紀2310)慶安3年、加賀藩主 前田利常が、留守居役 高田弥右衛門に命じて再建された
 材木は、菱屋十左衛門によるもの
 1654年(皇紀2314)承応3年の完成

 <酬恩庵庭園(全体が国の名勝)>
 方丈庭園は、南・東・北三面よりなる江戸時代枯山水庭園
 1650年(皇紀2310)慶安3年、加賀藩第3代藩主 前田利常による方丈再興の頃に作庭されたといわれる
 石川丈山松花堂昭乗・佐川田喜六の合作といわれる

 南庭は、方丈前庭で白砂敷で大海をあらわしたもの
 左側に御廟所、右側に虎丘庵の屋根、背後の山並みが借景となっている
 平地は、白砂の奥に築山、台地との間にサツキの生垣、西南に蘇鉄、サツキの丸い刈込がある

 東庭は、南北に細長い敷地
 南から北へ直線的な16石が置かれ、十六羅漢の様子をあらわし「十六羅漢の庭」と称される

 北庭は、東北隅の大立石を主石として、まわりに多くの名石が配置されている蓬莱庭園
 東北隅に一文字に天端を切った平天石と巨石で組んだ滝組があり、中央に卵型の観音石が立てられて、
その前に台座石となる天平石が置かれ、さらにその前の白砂に方形の座禅石が置かれている
 観音石の右には龍門瀑、その右隣に鯉魚石が置かれ、西側には鶴島(鶴亀島)がある
 東北隅の滝組から落ちた水が西と南に流されるようになっている
 石塔、石灯籠、蹲踞、手水鉢なども置かれている
 方丈の北側に庭が造られるのは珍しい
 かつては木津川の船の帆が見え、比叡山も望めたといわれる

 <茶室「露滴軒」>
 三畳台目

 <茶室「閑座亭」>
 広間

 <庫裏(重要文化財)>
 1650年(皇紀2310)慶安3年、前田家により修復される

 <東司(重要文化財)>
 1650年(皇紀2310)慶安3年、前田家により建立される

 <唐門(重要文化財)>
 1650年(皇紀2310)慶安3年、前田家により建立される

 <浴室(重要文化財)>
 1650年(皇紀2310)慶安3年、修復されている

 <鐘楼(重要文化財)>
 入母屋造、袴腰
 1623年(皇紀2283)元和9年に建立され、1650年(皇紀2310)慶安3年に修復された

 <総門(京都府指定文化財)>
 <中門(京都府指定文化財)>

 <開山堂(大応堂)>
 一休禅師により大応国師(南浦紹明)の木造が安置されている
 1912年(皇紀2572)明治45年に改築されている

 <御廟所(宗純王廟)・寿塔(慈楊塔)>
 一休禅師の遺骨を寿塔下に埋葬されている
 現在は陵墓として宮内庁が管轄している
 1475年(皇紀2135)文明7年
 一休禅師が生前に自ら寿塔を建立し、敬愛していた宋の慈明 楊岐禅師の名より「慈楊塔」と名付けた

 <御廟所前庭>
 白砂と石組みによる枯山水庭園
 茶祖 村田珠光の作庭といわれる
 寿塔側から見ると、手前に礼拝石、奥に須弥山石が立てられている
 背後に門があるが、庭園がそれを塞ぐ形で作庭され、寿塔に向かう道はない

 <一休禅師墨跡碑「諸悪莫作 衆善奉行」>
 一休禅師により書かれた七仏通戒(ひちぶつつうかい)の偈(げ)の中の詞白
 釈迦十大弟子の一人の阿難尊者の言葉
   諸悪莫作(しょあくまくさ):諸の悪を作すことなかれ
   衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう):衆の善を奉行せよ
 数々の悪行をすることなく、善行積めば、自ずと心清く美しくなるという意味

 <虎丘庵(こきゅうあん)(京都府指定文化財)>
 檜皮葺、一休禅師筆の「虎丘」の扁額がかかる
 1475年(皇紀2135)文明7年、一休禅師により東山にあった虎丘庵を移築されたもの
 旅芸人の盲目 森女(しんじょ)を引き取り、ここに住まわせ、一休禅師も晩年をここで過ごしたといわれる

 <虎丘庵庭園(国の名勝)>
 茶祖 村田珠光の作庭といわれる禅院式枯山水庭園
 東に七五三の石が置かれ、木斛、梅、椿などの刈込がされている
 一休遺愛の二個の手鉢が置かれている

 <宝蔵>
 1989年(皇紀2649)平成元年の建立

 <少年一休像>

 <三本杉>
 それぞれ一休宗純、蜷川新右衛門、蓮如上人の手植えといわれる樹齢500年の3本の杉が生えていた
 1985年(皇紀2645)昭和60年に枯死し、その後、移植されている

 <墓地>
 境内の南にある
 江戸時代前期の武人・茶人 寸松庵(佐久間将監)のお墓
 室町時代中期の能観世流3代 音阿弥元重、江戸時代の15代 左近元章、19代 織部清興のお墓
 桃山時代の武将 六角承禎(佐々木承禎)のお墓

 <石仏群>

 <「薪能金春芝跡」の石碑>
 室町時代の能役者 金春禅竹(こんぱるぜんちく)が、一休禅師を慕って通い、総門の前で一休禅師のために
を演じたといわれる

 <「一休坂」の石碑>
 <「京都国体町火リレー採火之地」の石標」>



【酬恩庵の寺宝】

 <木造 一休宗純坐像(重要文化財)>
 方丈内陣の仏間に安置されている
 檜材の寄木造り(よせぎづくり)による等身大の像
 眼には、玉眼(ぎょくがん)をはめ込み、頭髪と髭は、一休宗純の遺髪を植え込んだといわれるが、現在はなくなっている
 1481年(皇紀2141)文明13年
 一休宗純が亡くなる年に、一休宗純が高弟 墨済に命じて彫らせたものといわれる

 <絹本著色 一休和尚像(重要文化財)>
 <後花園天皇宸翰女房奉書(重要文化財)>

 <方丈襖絵43面>
 江戸時代初期の狩野探幽の筆
 衣鉢の間には「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」がある
 現在、DNPデジタル再製画が飾られている

 <一休宗純頂相>
 一休禅師の筆による朱太刀の肖像画
 厳格な儀礼で高僧が座る曲ロク(きょくろく)、その前の踏床(ふみどこ)称される沓脱台が描かれている

 <観音三十三身図 全33幅>
 江戸時代後期の絵師 原在中の筆
 「法華経」のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)にもとずき、
観世音菩薩が、三十三の困難な状況に応じて応身して(姿を変えて)衆生を救うさまが描かれてる
 各54cm x 145cm
 お盆の8月15日、16日のみ方丈に掲げられ公開される

 <酬恩庭園図>
 1805年(皇紀2465)文化2年、原在明の筆

 <額字「霊瑞山」>
 天龍寺7世 此山妙在の筆

 <髑髏面>
 一休禅師の作といわれる

 <「制法」>
 1479年(皇紀2139)文明11年、一休禅師の筆による門下の掟を定めたもの

 <一休和尚名号「一休頓狂和尚」>
 一休禅師の筆

 <輿>
 一休禅師が大徳寺47世となったときには、この輿に乗って京都まで通っていたといわれる



【酬恩庵の行事】

 <一休善哉の日(ぜんざいのひ)> 1月最終日曜日
 <涅槃会> 2月15日
 <灌仏会・花祭> 5月上旬

 <曝涼観音三十三身図展示>
 8月15日、16日
 江戸時代原在中の観音三十三身図の全33幅が方丈に掲げられる
 観音信仰にまつわる限定御朱印も授与される

 <一休寺薪能>
 9月中秋の名月の日
 1982年(皇紀2642)昭和57年
 一休宗純禅師が、能楽師と親交があり、とのかかわりが深かったことから始められる
 再興当時には、金春禅竹が、総門前で一休宗純のためにを演じたといわれる
 方丈に設けた特設舞台で、中秋の名月を眺めながら、狂言が鑑賞される

 <開山忌> 11月21日



【その他】

 <一休寺納豆
 一休宗純が、中国の禅僧から教わり考案し、代々の住職が製法を伝えてきたといわれる納豆
 黒褐色の塩辛く、深くこうばしい味噌のような風味を持つ、糸を引かない納豆

 毎年7月末頃から作り始め一年かける
 蒸し大豆に、はったい粉とこうじを混ぜ合わせたものを麹室で2日間発酵させる
 次に、塩湯の入った桶に移し、早朝に蓋を取り、一日に何回か杓子でかき混ぜ、夕日が沈む頃に蓋をする作業を
一年間続けられる
 最後に天日で乾かして完成させる

 栄養価が高く、保存食として、薬としても食べられていたといわれる

【酬恩庵へのアクセス】

 近鉄電車 新田辺駅 約1.5km
 JR 京田辺駅 約1km
 京阪宇治交通バス 一休寺道 徒歩約5分

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42.康正2年(1456年)、戦火により荒廃していた酬恩庵を復興したのは誰か?

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