京人形(きょうにんぎょう)(KyouNingyou)

京都の伝統工芸品の一つ
経済産業大臣指定の伝統的工芸品の一つ
分類:人形
1986年(皇紀2646)昭和61年指定

京都市の伝統産業の一つ

地域団体商標登録

 (写真は京都伝統産業ミュージアムにて撮影)

 京人形(きょうにんぎょう)は、京都において伝統的に制作されてきた着付人形の総称

 平安時代の貴族の姫君の遊び道具として愛玩されてきて、江戸時代には京の土産品としても重宝された

 人形の制作は、京都の職人が制作工程ごとに細分化されて担っている

【人形の歴史・経緯】


 人形は、子供の災厄(さいやく)の身代わりに、悪いことを引き受けるものとして用いられた

 京人形は、平安時代の貴族の子供たちの遊び道具であった雛(ひな)が由来

 <形代(かたしろ)>
 <天児(あまがつ)・這子(はいこ)>
 <這い這い人形>
 <立雛(たちびな)>
 <室町雛(むろまちびな)>
 <寛永雛(かんえいびな)>
 <元禄雛(げんろくびな)>
 <享保雛(きょうほびな)>
 <次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)>
 <有職雛(ゆうそくびな)>
 <古今雛(こきんびな)>


【京人形の種類】

 <節句人形(せっくにんぎょう)>
 雛人形(ひなにんぎょう)、五月人形など

 <嵯峨人形(さがにんぎょう)>
 <賀茂人形(かもにんぎょう)>

 <御所人形(ごしょにんぎょう)>
 朝廷が、諸大名の献上品に対する返礼にした「拝領人形」など
 朝廷での出産祝いや、子授け祈顔のときにも使われた
 桐の木で丸々と肉づいた幼児を彫り、トノコを塗り、トクサで磨いて顔を描き、口に朱を入れる
 江戸時代中期に作られ始める

 <伏見人形
 素焼きの人形で、日本各地にある土人形や郷土玩具の原型となった
 「稲荷人形」「深草人形」「伏見焼」「深草焼」「稲荷焼」とも称される
 桃山時代頃から、伏見稲荷大社の門前で売られていた
 初午の日には、伏見稲荷大社を参拝し、参道で売られている布袋尊の人形を買いもとめ、
火難除けとして、おくどさん(釜戸)の近くの荒神を祀る棚「荒神棚(こうじんだな)」に祀られる(初午の稲荷詣

 <京陶人形
 素焼きの陶彫人形(とうちょうにんぎょう)
 顔料(がんりょう)などで極彩色(ごくさいしき)に仕上げたもの、土味を生かした淡彩色(たんさいしき)のもの、
本焼・焼しめで仕上げたものなどがある

 <浮世人形(うきよにんぎょう)>
 <衣装人形(いしょうにんぎょう)>

 <市松人形(いちまつにんぎょう)>
 着せ替え人形の一つ
 桐塑や木でできた頭と手足に、胡粉を塗り、おがくずを詰め込んだ布でできた胴につなげた人形
 裸の状態で売られ、衣装は別に作成される
 顔立ちが江戸時代中期の歌舞伎役者、佐野川市松に似ていたため市松人形と名付けられたといわれる

【京人形の制作】

 京都は、仏具・繊維・漆芸などの工芸が発達しており、人形作りの環境としても適していた

 頭師(かしらし)・髪付け師(かみつけし)・手足師(てあしし)・小道具師(こどうぐし)・胴着付け師(どうぎつし)など、
製造工程が分業されて作られる
 その伝統は、1対1で後継ぎに伝える一子相伝によって伝えられる

上巳の節句

 3月3日は上巳の節句、「桃の節句」「雛の節句」「雛祭」との称せられる

 平安時代頃には、人形が作られ、宮中では「ひいな遊び」と称される人形遊びが盛んだった

【京人形の所蔵】

 代々皇女が入寺してきた尼門跡寺院などにおいて、優れた京人形が残されてきている

 <宝鏡寺(人形寺)>
 <霊鑑寺
 <曇華院
 <光照院
 <大聖寺
 <三時知恩寺
 <京都国立博物館

【京人形師】

 <林駒男(重要無形文化財保持者(人間国宝)) >


【京都検定 第1回3級】

40.京人形について、次のことは正しいかどうか?
(ア)嵯峨人形や賀茂人形・御所人形・伏見人形などを京人形と呼ぶ
(イ)伏見人形には金襴・緞子などの布破れも使う
(ウ)京人形の歴史は、平安時代の公卿社会で用いられた雛に始まる
(エ)宝鏡寺は「人形寺」と呼ばれている

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【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第13回2級】

【京都検定 第21回2級】


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