地図情報
粟田神社(あわたじんじゃ)は、東山の三条通に面して一之鳥居が立ち参道の入口がある神社
京の七口の一つの粟田口で、旧東海道、東山道に通じる
京を行き来する人たちが旅行の安全を祈願し「旅立ち守護」として信仰されている
京都十六社朱印めぐりの一つ
境内は、歴史的風土特別保存区域
<本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)>
本殿は、三間社流造
本殿の前に、桁行二間・梁行三間で、正面に方一間の拝所を付設した幣殿が接続された複合社殿
拝所には、彫刻装飾がされている
流造の屋根の前に、入母屋造・妻入、さらにその正面に向唐破風造の屋根がある
1805年(皇紀2465)文化2年に焼失
1823年(皇紀2483)文政6年に再建されたもの
江戸時代後期の複合社殿として貴重なもの
<拝殿(はいでん)>
1703年(皇紀2363)元禄16年の建立
<能舞台>
<庚申堂>
<神馬像>
参道の石階段を登り上がったところに立つ
<摂社 出生恵美須神社>
祭神:蛭子大神
祭礼:1月10日、10月30日
ご利益:家運隆盛、商売繁昌
元は、三条蹴上の夷谷に祀られていた
牛若丸(のちの源義経)が、奥州へ下向するときに、源家の再興を祈願されたといわれ、「出世恵美須」「門出恵美須」とも称される
室町時代
蹴上の山崩れがあり、土砂とともに流され、現在の三条神宮通付近で止まり、「夷町」の地名が残る
しばらく、夷町に祀られ、その後、青蓮院塔頭の金蔵寺に遷座される
1871年(皇紀2531)明治4年
明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈により、粟田神社の摂社として遷座される
恵美須神像は、伝教大師 最澄の自作といわれる
釣り上げた鯛を前に持って、大きく口を開けて笑っている珍しいもの
当初は、彩色がされていた形跡が残る
1868年(皇紀2528)明治元年
金蔵寺の廃寺に伴い、出世恵美須神社に遷され祀られた
1997年(皇紀2657)平成9年
解体修理が施される
現存する日本最古の寄木造の恵美須神像といわれる
<北向稲荷神社>
祭神:正一位稲荷大明神
<鍛冶神社>
参道の登口の左側に立つ
祭神:天目一箇神(あめのまひとつのかみ):作金者の祖(かなだくみのそ)製鉄・鍛冶の神さん
三条小鍛冶宗近:平安時代の刀工(天下五剣「三日月宗近(みかづきむねちか)」・名刀「小狐丸(こぎつねまる)」 )
粟田口藤四郎吉光:鎌倉時代の刀鍛冶(豊臣秀吉の愛刀「一期一振(いちごひとふり)」 )
刀匠 三条宗近が住んでいたといわれる地
謡曲「小鍛冶」の舞台にもなっている
<朝日天満宮>
<多賀社>
<大神宮>
<吉兵衛明神>
<太郎兵衛神社>
<聖天社>
1664年(皇紀2324)寛文4年
真言律の僧 湛海律師が、参道の中腹に、自ら彫んだ大聖歓喜天(聖天)を祀る歓喜院を創建される
湛海律師は、当 粟田神社の別当にもなり、その後、歓喜院を辞して生駒に登り宝山寺の中興開山となる
明治維新
明治新政府の神仏分離 廃仏毀釈の悪政により、歓喜院は破却され廃寺にされてしまい
大聖歓喜天(聖天)は、後に本殿右座外殿に遷され安置される
2023年(皇紀2683)令和5年6月
聖天社が建立され、湛海律師の大聖歓喜天(聖天)が祀られる
<歳旦祭(さいさんさい)、元旦祭> 1月1日
<出世えびす祭>
1月9日〜11日
えびす神像が公開される
<節分祭>
2月節分
古札焚き上げ神事
<北向稲荷初午祭> 2月初午の日
<祈年祭(きねんさい)>
2月17日
湯立て神事
<大祓式(おおはらいしき)>
6月30日
茅の輪くぐり
<夏越祭(なごしさい)>
旧の6月15日
粽(ちまき)授与が行われる
<粟田祭>
10月の体育の日の前日 出御祭(おいでまつり)、夜渡り神事(れいけん祭)
体育の日 神幸祭、剣鉾・神輿の巡行、還幸祭
剣鉾は、祇園祭の山鉾の原型といわれる
<例大祭(れいたいさい)>
10月15日 例大祭
舞楽の奉納が行われる
<出世恵美須秋季祭> 10月20日
<新嘗祭(にいなめさい)、火焚祭(ひたきさい)>
11月23日
火焚串焚き上げ
<除夜祭> 12月31日
<粟田焼>
粟田神社参道に、「粟田焼発祥地」の石標が建つ
粟田焼は、洛東粟田地域で生産された陶器の総称で、京焼の一つ
1624年(皇紀2284)寛永元年頃
瀬戸の三文字屋九右衛門が、粟田口三条に開窯したのが由来
<京都刀剣御朱印めぐり>
刀剣にゆかりのある4つの神社において特別な刀剣御朱印を授かることができる
開催期間は、不定期
<剣鉾絵馬>
末社 鍛冶神社の祭神の名刀匠 三条宗近にちなむ絵馬
剣のイラストの形をしている
京都通メンバページ
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